メタルは負けず嫌い

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    カテゴリ: 訃報

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    1: 湛然 ★ 2018/07/16(月) 06:00:14.71 ID:CAP_USER9
    2018.7.14 20:26
    N・シナトラさん死去 米大物歌手の最初の妻 101歳

     ナンシー・シナトラさん(米大物ジャズ歌手フランク・シナトラ氏の最初の妻)13日死去、101歳。死因は分かっていない。映画誌ハリウッド・リポーターなどが伝えた。

     17年生まれ。34年夏、当時無名だったシナトラ氏と出会い、39年に結婚。51年に離婚するまで3人の子供をもうけた。長女ナンシーさんは映画「007は二度死ぬ」の主題歌を歌った人気歌手。98年に死去したシナトラ氏はその後3回結婚したが、元妻のナンシーさんは再婚しなかった。(共同)


    フランク・シナトラ氏(左)とナンシー・シナトラさん=1946年10月、米ハリウッド(AP)
    http://www.sankei.com/images/news/180714/ent1807140008-p1.jpg
    ent1807140008-p1

    http://www.sankei.com/entertainments/news/180714/ent1807140008-n1.html

    【米大物歌手の最初の妻『N・シナトラ』さん、101歳で死去。】の続きを読む

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    1: muffin ★ 2018/07/15(日) 13:44:52.44 ID:CAP_USER9
    https://natalie.mu/music/news/291257
    2018年7月15日 12:05

    サニーデイ・サービスの丸山晴茂(Dr)が、今年5月に食道静脈瘤破裂のため死去していたことが所属事務所のスタジオ・ローズから発表された。47歳だった。

    体調不良のため2016年2月より活動を休止していた丸山。葬儀はすでに家族の意向を尊重し、近親者のみで執り行われた。丸山の訃報に際し、サニーデイ・サービスの曽我部恵一(Vo, G)は「すぐに、ではなくても、生きていればいつかはまた三人で音を出せると信じていたし、そんな最高なことが起こるのが人生だと思っていました」「自分がいま音楽をやっているのは、晴茂くんと出会い、彼に力をもらったからです。ぼくがひとりで作った歌をみんなが聴けるカラフルな音楽にしてくれたのは晴茂くんです」とメッセージを送っている。

    曽我部恵一 コメント
    晴茂くんが、亡くなりました。

    彼はもう何年も自分の抱えるアルコールの問題を克服しようと戦っていました。
    2015年の夏を最後に、いっしょに音は出していませんでしたが、ぼくたちは彼が戻ってくるのを待っていました。

    すぐに、ではなくても、生きていればいつかはまた三人で音を出せると信じていたし、そんな最高なことが起こるのが人生だと思っていました。

    晴茂くんはぼくの大事な友だちでした。
    ドラマーがなかなか決まらずくすぶっていたサニーデイに入ってくれたとき、彼はすでにプロの仕事を経験していて、ぼくたちにとっては音楽的な先輩と言った感じでした。こんなすごい人が叩いてくれる!そこでやっとサニーデイはバンドとしてのスタートが切れたのです。
    おまけになかなか東京人とフランクに接せられない地方出身のぼくと田中でしたが、何故か晴茂くんとはすんなり自然と打ち解けることができました。
    たぶん三人とも、似たような部分でシャイだったのでしょう。
    まるで、ずっと昔から友だちだったような感覚でした。

    それから経験したありとあらゆること、素晴らしい時間や景色、サニーデイの音楽、これらすべては更新されることなく永遠のものになってしまいました。

    晴茂くんはやさしい人でした。
    純粋な人、という言葉は彼にこそ使っていいものだと思います。
    なにごとにも臆することなく、心から正直に行動できる人でした。本物のパンクスで、本物のロックンローラーでした。
    計算高いタイプのぼくはよく彼に「晴茂くんは天使だから」なんてことを言っていました。そんなとき晴茂くんは決まって不思議そうな顔でぼくを見るのでした。
    ぼくは晴茂くんが大好きでした。

    サニーデイ・サービスを愛してくれたすべてのみなさん。晴茂くんのビートに身を委ね、彼を応援し、彼の復帰を待ってくれたすべてのみなさんに、感謝いたします。
    どうもありがとうございました。

    自分がいま音楽をやっているのは、晴茂くんと出会い、彼に力をもらったからです。
    ぼくがひとりで作った歌をみんなが聴けるカラフルな音楽にしてくれたのは晴茂くんです。
    いつもぼくの家族を心配してくれたこと、あなたのはにかんだような笑顔、あなたの冗談、あなたのやさしさ、ひたむきさ、自由さ。
    ありがとう、晴茂くん。
    さようなら。

    平成30年7月15日
    曽我部恵一

    左から丸山晴茂(Dr)、曽我部恵一(Vo, G)、田中貴(B)
    https://cdnx.natalie.mu/media/news/music/2015/0401/SUNNYDAYSERVICE_art201504_fixw_640_hq.jpg 
    SUNNYDAYSERVICE_art201504_fixw_640_hq

    【サニーデイ・サービスのドラマー丸山晴茂さん、食道静脈瘤破裂のため5月に死去。47歳。】の続きを読む

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    1: muffin ★ 2018/06/23(土) 15:19:14.99 ID:CAP_USER9
    https://nme-jp.com/news/57155/
    2018.6.23

    元パンテラのドラマーであるヴィニー・ポールが亡くなった。享年54歳だった。

    「ヴィニー・ポールとして知られるヴィンセント・ポール・アボットが亡くなりました」とパンテラのフェイスブックは声明で発表している。「ポールはパンテラとヘルイェーといったバンドでのドラマーとしての仕事で最も知られています。現時点でこれ以上の情報はありません。遺族はプライバシーへの配慮を求めています」

    ヴィニー・ポールは弟のダイムバッグ・ダレルと共にパンテラを結成している。パンテラは2003年に解散し、ダメージプランを結成するが、2004年12月8日ダメージプランとしてコロンバスで公演を行っている最中にダイムバッグ・ダレルは銃撃で命を落としている。

    生前、ヴィニー・ポールはパンテラの再結成について常に否定しており、次のように語っている。「興味ないね。だって、ダイムがいないわけだからね。俺にとって、ダイムがいなかったら、パンテラはないんだ。それが理由だよ」

    音楽界からも追悼の声が寄せられている。
    (続きはソースをご覧下さい)

    https://nme-jp.com/nmesite/wp-content/uploads/2018/06/VinniePaul-720x480.jpg 
    VinniePaul-720x480

    【元パンテラ(PANTERA)のドラマー、”レジェンド”ヴィニー・ポールが逝去。】の続きを読む

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    1: プティフランスパン ★ 2018/06/19(火) 14:44:49.92 ID:CAP_USER9
    2018.06.19
    https://ichef.bbci.co.uk/news/340/cpsprodpb/302A/production/_102103321_gettyimages-893687060.jpg
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    XXXTentacion

    米フロリダ州で18日、ラッパーのXXXTentacion(エックス・エックス・エックス・テンタシオン、本名ジャセー・オンフロイさん)が銃撃を受け、死亡した。20歳だった。
    XXXTentacionは楽曲投稿サイト「サウンドクラウド」への投稿をきっかけに注目され、瞬く間に躍進した才能の持ち主として人気を集めた。訃報を受け、ヒップホップ界のスター達から追悼のメッセージが相次いでいる。
    地元のブロワード郡警察によると、XXXTentacionはオートバイ販売店を出ようとしたところを撃たれた。病院に運ばれたが、死亡が確認された。

    現場はマイアミから70キロほど離れたブロワード郡ディアフィールド・ビーチ。保安官事務所によると、同日午後4時ごろに車に乗っていたところを銃を持った2人組に襲撃された。
    少なくとも1人が発砲し、暗い色のSUV(スポーツ用多目的車)で逃走した。検察当局は、「盗難の可能性がある」としている。
    ソーシャルメディアに投稿された動画には、被害者が車内で倒れる様子が映っていた。
    また、目撃者の1人は米エンターテインメント情報サイトTMZの取材に応じ、オートバイ販売店の外で複数の銃声が聞こえたと話した。

    現場はマイアミから70キロほど離れたブロワード郡ディアフィールド・ビーチ。保安官事務所によると、同日午後4時ごろに車に乗っていたところを銃を持った2人組に襲撃された。
    少なくとも1人が発砲し、暗い色のSUV(スポーツ用多目的車)で逃走した。検察当局は、「盗難の可能性がある」としている。
    ソーシャルメディアに投稿された動画には、被害者が車内で倒れる様子が映っていた。
    また、目撃者の1人は米エンターテインメント情報サイトTMZの取材に応じ、オートバイ販売店の外で複数の銃声が聞こえたと話した。

    https://ichef.bbci.co.uk/news/304/cpsprodpb/2472/production/_102103390_gettyimages-858516988.jpg
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    THADDAEUS MCADAMS/FILMMAGIC/GETTY
    Image caption
    2017年のBETヒップホップ・アワードに出席したXXXTentacion(中央)

    ※ 全文は記事でご覧ください

    【米ラッパーの『XXXTentacion』が銃撃され死亡。犯人は暗い色のSUVで逃走。】の続きを読む

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    1: 記憶たどり。 ★ 2018/06/12(火) 02:29:31.90 ID:CAP_USER9
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180612-00236070-nksports-ent

    1976年(昭51)年に「ぼくたちの失敗」がヒットするなど、1970年代にシンガー・ソングライターとして活躍し、
    1983年(昭58)に引退した森田童子さん(もりた・どうじ=本名不明)が、4月24日に亡くなっていたことが
    11日、分かった。66歳だった。日本音楽著作権協会(JASRAC)の会報に、訃報が掲載された。
    死因は明らかにされていない。

    森田さんは、1975年(昭50)に「さよなら ぼくの ともだち」でデビュー。若さとむなしさが充満する歌詞と、
    語り掛けるような歌声が特徴で「孤立無援の唄」や「男のくせに泣いてくれた」などヒット曲を出した。
    ライブハウスを中心に活動を展開し、若者に支持されたが、83年に東京・新宿ロフトでの公演後、活動を休止した。
    明確な引退宣言はなかったが、引退後は主婦として暮らし、表舞台には出なかった。

    その中、1993年(平5)に「ぼくたちの失敗」がTBSドラマ「高校教師」の主題歌となり再ブームを呼んだ。
    2016年には、最新技術でリマスターされたアルバム全集や全曲集の楽譜も出版されるなど、再び脚光を浴びていた。

    【ドラマ『高校教師』の主題歌で有名なシンガー・ソングライターの森田童子さん、4月に死去。享年66。】の続きを読む

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    1: ばーど ★ 2018/06/04(月) 16:53:53.11 ID:CAP_USER9
    「恋の季節」のヒットで知られる音楽グループ「ピンキーとキラーズ」のドラマー・パンチョ加賀美さんが亡くなっていたことを、ピンキーとキラーズのボーカルで歌手の今陽子さんが2018年6月3日のブログで報告した。74歳だった。

    1968年にピンキーとキラーズの一員としてデビューし、その年のNHK紅白歌合戦に「恋の季節」で出場した。72年のグループ解散後はドラマー以外にも声優、役者としても活躍した。また、2008年のオリジナルメンバーによる再結成にも参加し、今さんのディナーショー、08年9月16日放送のNHK「歌謡コンサート」などに出演していた。

    今さんによると、遺族の意向で大規模なお別れの会の実施予定はないという。

    2018/6/ 4 15:51
    J-CASTニュース
    https://www.j-cast.com/2018/06/04330404.html

    【「ピンキーとキラーズ」のパンチョ加賀美さん死去したことを今陽子さんがブログで報告。「恋の季節」がヒット。】の続きを読む

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    1: ストラト ★ 2018/05/27(日) 09:33:34.48 ID:CAP_USER9
    大ヒットした「あなた」で知られる歌手の小坂明子(61)の長男でロックバンド「GRAND FAMILY ORCHESTRA」のベース・千葉龍太郎さん(享年30歳)が、24日に不慮の事故で亡くなったことが26日、分かった。
    小坂が26日に更新したブログで明かした。

    「突然の訃報で皆様に驚きと悲しみをお送りしなければならないことをお許し下さい。長男、千葉龍太郎は2018年5月24日午前5時不慮の事故で永眠しました。享年30才でした」と報告した。

    そして、「息子として、私の音楽をリスペクトしてくれていた龍太郎。彼のベースに魅了されていた私。ベーシストとして生き抜いた龍太郎を誇りに思います。皆様のたくさんの応援は彼の生きる源でした。彼の有り余る才能を私の中に入れて、私は音楽を続けます」と胸の内をつづった。

    バンドの公式サイトでは「突然のことでメンバー全員何も考えられていない状態です。現在決まっている当面のライブについては、キャンセルとさせていただきます」と報告。
    葬儀は家族葬にて執り行うという。
    バンドとしては6月12日、午前11時から東京・武蔵野市「吉祥寺WARP」で音楽葬を執り行う予定と発表。
    献花台も設置するという。

    バンドの今後については、「今の段階では何も決められていません。どういった決断をするのかわかりませんが、どこかのタイミングでお伝えできればと思っています」と記した。

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180527-00000064-sph-ent

    【小坂明子、長男で『GRAND FAMILY ORCHESTRA』の千葉龍太郎さん(30)が亡くなったことを報告。「不慮の事故で永眠しました」 】の続きを読む

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    1: サイカイへのショートカット ★ 2018/05/07(月) 19:31:29.95 ID:CAP_USER9
    作曲家、木下忠司さんが死去 「あゝ人生に涙あり」、「トラック野郎」音楽など
    2018.5.7 16:44 サンケイスポーツ
    http://www.sanspo.com/geino/news/20180507/geo18050716440022-n1.html

    映画「喜びも悲しみも幾歳月」などの音楽で知られる作曲家で映画音楽家の木下忠司(きのした・ちゅうじ)さんが4月30日午前10時31分、老衰のため東京都千代田区三番町3の3の901の自宅で死去した。102歳。浜松市出身。告別式は家族で行った。喪主は妻美智子(みちこ)さん。

    兄で映画監督の木下恵介さんに誘われ、映画の道に入った。木下監督の作品「わが恋せし乙女」(1946年)に始まり、「二十四の瞳」「人間の條件」などの名作や「トラック野郎」シリーズなど数々の映画音楽を手掛けた。作詞作曲をした映画「喜びも悲しみも幾歳月」の主題歌は大ヒットした。

    テレビ時代劇「水戸黄門」の主題歌「あゝ人生に涙あり」、テレビアニメ「カリメロ」の主題歌「ぼくはカリメロ」などでも知られる。

    【作曲家、木下忠司さんが死去。102歳。 「あゝ人生に涙あり」「トラック野郎」など映画音楽を手掛ける。】の続きを読む

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    1: 湛然 ★ 2018/05/07(月) 05:32:57.90 ID:CAP_USER9
    2018/05/07 03:24
    デッド・オア・アライヴのスティーヴ・コイが死去

    サイトNoise11によれば、デッド・オア・アライヴ(Dead or Alive)のドラマー、スティーヴ・コイ(Steve Coy)が死去。56歳でした。
    スティーヴは1982年に加入。以降、フロントマンのピート・バーンズ(Pete Burns)と共にバンドを長年に渡って支えていました。
    デッド・オア・アライヴの全スタジオ・アルバムに参加しています。


    http://amass.jp/104641/

    【デッド・オア・アライヴのスティーヴ・コイが死去。】の続きを読む

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    1: ストラト ★ 2018/04/23(月) 12:04:34.34 ID:CAP_USER9
    “世界の16文”“東洋の巨人”として一時代を築いた不世出の名レスラー故ジャイアント馬場さん(享年61)の夫人で、元全日本プロレス社長の元子さんが14日に肝硬変のため、都内の施設で亡くなっていたことが22日、分かった。
    78歳だった。
    親族のみで19日に通夜、20日に告別式が営まれた。
    戒名は「顕徳院法栄妙元清大姉(けいとくいんほうえいみょうげんしょうたいし)」。

    元子さんは昨年1月に東京・渋谷区の自宅で行われた「喜寿を祝う会」で元気な姿を見せたが、同年初夏から肝臓の病気が悪化して6月に都内の病院に入院。
    10月には「持ってあと2週間」と医師から告げられた。
    その後に驚異的な回復を遂げるも、肝臓の病気は施術のしようがないほど悪化し、定期的に腹水を抜く処置と投薬だけが続いていた。

    以来、小康状態を保ち13日夜も元気に笑顔で話して夕食も取ったが、翌14日に容体が急変。
    同日午後9時9分に息を引き取った。

    元子さんは1940年1月2日生まれ、兵庫・明石市出身。
    15歳の時に、キャンプのため、明石を訪れた当時プロ野球巨人軍の投手だった馬場さんと知り合った。
    66年に婚約して馬場さんがプロレスに転向した時も72年に全日本プロレスを旗揚げした際も裏方として馬場さんを支え、82年に結婚を公表した。

    1999年1月31日に馬場さんが亡くなった後は故三沢光晴さん(享年46)を社長として再出発を図ったが、経営面の考えなどの食い違いにより、2000年に三沢さんらが大量離脱して「プロレスリング・ノア」を設立。
    団体は存亡の危機を迎えたが、同年7月に社長に就任するとミスタープロレス・天龍源一郎(68)の復帰、当時新日本プロレスのエースだった武藤敬司(55)らの移籍により、団体を蘇生させた。
    02年10月の日本武道館大会を最後に社長職を辞任してマット界から退いた。

    14年7月に秋山準(48)が新社長に就任すると、相談役などを務め、翌年に辞任するまで秋山体制を支えた。
    元子さんの急逝により、またひとつ「昭和のプロレス」が幕を閉じた。

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180423-00000008-tospoweb-spo

    馬場元子さん
    http://amd.c.yimg.jp/amd/20180423-00000008-tospoweb-000-2-view.jpg 
    20180423-00000008-tospoweb-000-2-view

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