メタルは負けず嫌い

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    1: 鉄チーズ烏 ★ 2021/02/24(水) 19:29:13.65 ID:CAP_USER9
    2021/02/24 13:42掲載
    http://amass.jp/144609/

    イングヴェイ・マルムスティーン(Yngwie Malmsteen)は、エディ・ヴァン・ヘイレン(Eddie Van Halen)への追悼文を、米国のギター誌Guitar Worldに寄稿しています。

    「7、8歳の時にスウェーデンでディープ・パープルの『Made in Japan』などを聴いて、そういうギタープレイにハマっていた。12歳になる頃にはクラシック・ヴァイオリンを聴いていて、自分がやろうとしていることについて明確なビジョンを持っていた。

    だから、ヴァン・ヘイレンが出てきた時には何が出てきてもあまり気にしていなかった。1978年にパワーハウスというバンドで演奏していたんだけど、ある日ドラマーがヴァン・ヘイレンを連れてきた。俺は“何だ?別のバンド?何でもいいけど”と思った。でも彼らはそれを聴かせてくれた。俺は自分が聴いたものを信じられなかった。びっくりしたよ。

    アルバムを聴いて同じように感じた他の多くの人たちと比べて、俺の奇妙なところは、ギターをやめず、ハムバッカーを入れず、ストライプも塗らず、すべてのタッピングをしなかったことだと思うんだ。それをしなかったのは、エドワードがやっていたことがあまりにもすばらしかったからで、真似したくなかった。

    1978年当時、誰もこれを聴いたことがなかったことを覚えておいてほしい。エドワードはタップを初めてやった人ではなかったけど、彼はタップを有名にさせた。彼のような人はいなかった。でも、本当にノックアウトしたのは、バンド全体が持っていたエネルギーと“気にするな”という姿勢だった。彼らは本質的にはパワー・トリオであり、ライヴで演奏していた。

    俺もパワー・トリオだったから、すごく刺激を受けたよ。すべてのアルバムが素晴らしい。1枚目と2枚目のアルバム(Van HalenとVan Halen II)は、ほとんど同じアルバムのパート1とパート2のような感じだと思う。彼らは同じ感覚を持っている。オーバーダブは一切なく、ただそれを追求しているだけなんだ。アレックス、デイヴ、マイケル、そしてバンド全員が信じられないほど素晴らしい演奏をしている。

    2ndアルバムに“Outta Love Again”という曲があるんだけど、エドワードとアレックスが演奏しているんだ。たった1つのテイクだけだよ。かっこいい。凄い。最高。その精神は大きなインスピレーションを与えてくれた。

    でも一番好きな曲は“Ain't Talkin' 'Bout Love”だ。俺は何年もあの音を基準にしてきたんだ。あの曲を聴いて“あれだけいい音が出れば、自分にもいい音があるんだなと実感できる”と思ったものだ。

    リフはクソかっこいい。でも、全体的にエディについて本当に得たものは“お前のクソッタレを変えて頑張れ”ということだった。彼が俺に与えた影響は信じられないほどだった。俺たち全員にね。すごいよね。

    覚えておいてくれ。俺は社会主義国に住んでいた。基本的に“これはダメだ”“それはダメだ”で、何もかもが“ノーノーノーノーノー”だった。ヴァン・ヘイレンが出てきた時は“クソッタレどもめ!”って感じで、俺はそれが大好きだった。すごく気に入った。今でも大好きだ」

    https://www.guitarworld.com/

    【イングヴェイ・マルムスティーン、エディ・ヴァン・ヘイレンへの追悼文を米ギター誌に寄稿。】の続きを読む

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    1: 湛然 ★ 2021/02/08(月) 22:47:32.37 ID:CAP_USER9
    スティーヴ・ヴァイ、エディ・ヴァン・ヘイレンへの追悼文を米ギター誌に寄稿
    2021/02/04 14:24掲載 amass
    http://amass.jp/143999/


    スティーヴ・ヴァイ(Steve Vai)は、エディ・ヴァン・ヘイレン(Eddie Van Halen)に敬意を表した追悼文を、米国のギター誌Guitar Worldに寄稿しています。

    以下は抜粋

    “天才の無邪気さは魅力的だ。この考えは、エドワード・ヴァン・ヘイレンの全キャリアを通して顕著に現れていた。

    「天才」というと知的な巨人に限定されると思われがちだが、「天才」のもう一つの視点は、独自の創造的な直感にシームレスにつながる能力であるかもしれない。

    「天才」は、言い訳や恐れもなしに、これらの直感を楽々と、エレガントに、そして世界に表現することができる。これが彼らの自然で有機的に創造的な状態だ。これを実現する可能性は、僕たち全員の中にある。

    エドワードは知的ではなかったが(神に感謝)、彼は天才だった。彼には、集中した意図、揺るぎない自信、そして明白な情熱という才能があった。

    人が創造的なインスピレーションを表現する上で障害となるのは、目標を達成するために抱く否定的な考えだ。一般的に考えられているように、これらの障害は(人の)外の世界にはない。これは人の内部のものだ。

    エドワードはそのような考えの餌食になることはなかった。むしろ、彼は自分の至福に従った。そうすることで、彼はギター・コミュニティ全体を進化させるようなパラダイムシフトを起こした。彼の目標は分刻みで設定されていたので、彼は常に挑戦し、自分自身を満足させていた。

    彼が開発した画期的なテクニックはどれも見事に実行されたが、それは彼が心の中で聞いたものであり、それを追い求めるのが好きだったからだ。発見のプロセスと目標の達成は彼の至福だった。

    エドワードの最も魅力的な側面は、おそらくその笑顔だった。それは彼の音楽のDNAの中核であり、彼の顔には、演奏中に感じる喜びが表れていた。彼が書いた曲のハーモニーの構造には、その喜びに満ちた内なる光が輝いているのが聞こえてくるし、感じることができた。それは曲たちが喜びに満ちた心から生まれたものだからだ。

    彼に出会えたことがどれほど幸運だったことか。65歳は必ずしも年をとっているわけではないが、ギターの年にしてみれば、必ずしも若いとは限らない。この人生で、エドワード・ヴァン・ヘイレンは僕たちのために黄金の杯を空にしてくれた。彼は本当にやり遂げた。

    あなたが彼を個人的に知らなかったとしても、多くの人は彼が個人的な親友であるかのように彼の旅立ちに無力感を感じている。彼に直接感謝したいという気持ちがあった。心からの誠意を持って彼の目を見て、彼が僕たちにとって何を意味していたのかを彼に伝えようとした。

    知っての通り、言葉ではその親密な気持ちを伝えることはできないが、彼が残してくれた無数の人生を変えるような贈り物を楽しみ続けることはできる。エドワード王、あなたは特別でした...僕たちは感謝しています”

    詳細は以下のURLのページでご覧になれます。
    https://www.guitarworld.com/features/steve-vai-pays-tribute-to-the-innocent-genius-of-eddie-van-halen

    【スティーヴ・ヴァイ、エディ・ヴァン・ヘイレンへの追悼文を寄稿。「エドワード王、あなたは特別でした。」】の続きを読む

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    1: 少考さん ★ 2020/11/20(金) 14:14:54.74 ID:CAP_USER9
    ヴァン・ヘイレン追悼のヤングギター誌、異例の1万部増刷
    https://www.sankei.com/smp/west/news/201119/wst2011190013-s1.html
    https://www.sankei.com/west/news/201119/wst2011190013-n1.html

    2020.11.19 11:39

    先月6日に65歳で亡くなった米ロックギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンさんの特集を組んだ老舗ギター月刊誌「YOUNG GUITAR(ヤング・ギター)」の12月号が驚異的な売れ行きをみせ、急遽(きゅうきょ)増刷が決まった。スマートフォンの普及による出版不況のなか、同誌のような専門誌の増刷は異例で、業界で話題となっている。(岡田敏一)

    同誌の公称発行部数は6万部。12月号はエディさんを表紙に据えた“追悼総力特集”と銘打ち、彼の演奏の特徴や功績を楽譜などとともに紹介。米のスティーヴ・ヴァイさんや日本のロックユニット、B’z(ビーズ)の松本孝弘さんら、国内外の有名ギタリストの追悼コメントなども掲載し、通常より32ページ多い特別号とした。

    熱い内容が愛読者の心をつかんだのか、発行元のシンコーミュージック・エンタテイメント(東京都)によると、11月10日の発売から2日後の12日には全国の書店から姿を消し、通信販売のアマゾンの在庫もなくなったという。そこで、16日に1万部の増刷を決定。26日には全国の書店やアマゾンで購入できるようになるという。

    同社の社長室付プロモーション担当の阿部裕行さんは「彼の訃報は世界的なニュースだったので、かなり反響があるとは思っていたが、増刷になるとは予想外で驚いている」とし、「増刷は少なくともここ20年では一度もない」と話す。

    出版科学研究所によると、昨年までの月刊誌・週刊誌の推定販売金額は、平成9年をピークに22年連続でマイナス。同誌をはじめ、ウェブ媒体が幅を利かせるロック音楽系のような専門性の高い雑誌は、苦境にあえいでおり、今回のような増刷は極めて異例といえる。

    同誌は昭和44年に新興音楽出版社(現シンコーミュージック・エンタテイメント)が発刊。毎月10日発売で、国内外の技巧派ロック・ギタリストの演奏法や使用するエレキギター、機材などを紹介している。当初はフォークギターに関する内容が中心だったが、日本でもヘヴィ・メタルやフュージョンなどが人気となり、現在のようなエレキギターが中心の雑誌となった。


    ※関連リンク(公式tweet)
    https://twitter.com/young_guitar/status/1328239963842830337
    https://twitter.com/shinkomusic/status/1329628031594459139

    https://pbs.twimg.com/media/Em7a_D6UwAEc7NS.jpg
    Em7a_D6UwAEc7NS

    https://pbs.twimg.com/media/EnPIJhNVkAELlbi.jpg
    EnPIJhNVkAELlbi

    https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)

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    1: 湛然 ★ 2020/10/27(火) 22:57:52.54 ID:CAP_USER9
    ジーン・シモンズ、エディ・ヴァン・ヘイレンとのドライブ「死ぬほど怖かった」
    2020.10.26 15:17 BARKS
    https://www.barks.jp/news/?id=1000191272


    キッスのジーン・シモンズは80年代半ば、メタリカの公演を観に行ったとき、エドワード・ヴァン・ヘイレンから送っていくと言われ、死ぬほど怖い想いをしたそうだ。

    シモンズは、『The Dennis Miller Option』ポッドキャストで、忘れられないエドワードとの思い出を語った。「メタリカが世に出てきたときだ。俺ら、この新しいバンドのことや彼らの曲を耳にし始め、俺はロング・ビーチ・アリーナへ彼らを観に行ったんだ。リムジンに乗り、ボディ・ガード引き連れてっていうロック・スターの馬鹿げたスタイルでね。で、バックステージにエディがいたんだ」

    「俺は(帰るとき)エディに“会えて、良かったよ。みんな元気だといいんだが。じゃ、俺は車に乗ってLAに戻る”って言ったんだ。そしたら、彼が“それはないよ。僕と一緒に行こう。ジープで来てるんだ。送るよ”って言い出したから、俺は“オッケー”って答えて、リムジンの運転手に(俺抜きで)帰るよう伝えた。ああ、自分が望むことには気をつけろってやつだ」

    「エディは俺を彼の車に乗りこませた。ドアのないおんぼろの車だったよ。『M★A★S★H』に出てくるドアのないヘリコプター、覚えてるか? あれで斜めになって飛ばれて、死ぬに違いないって思うだろ? (ジープの中に)シートベルトはあったけどな。エディは煙突みたいに次々タバコを吹かしながら、俺が思うに時速100マイル(160キロ)でハイウェイを突っ走った。俺は必死でしがみつきながらも、俺に怖いものなんかないってフリしてたが、(本当は)死ぬほど怖かった。“エディ、エディ、スピード落とせ”って言ったんだが、彼はタバコ吹かしながら、“なんで?”って。俺には返す言葉がなかった」

    (※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

    Ako Suzuki

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    1: 湛然 ★ 2020/10/13(火) 23:03:39.76 ID:CAP_USER9
    デヴィッド・クロスビー、エディ・ヴァン・ヘイレンに対するコメントで物議
    2020.10.13 18:41BARKS
    https://www.barks.jp/news/?id=1000190611
    https://img.barks.jp/image/review/1000190611/001.jpg
    001


    デヴィッド・クロスビーは、先週亡くなったギター・レジェンド、エドワード・ヴァン・ヘイレンに対する意見を求められ、「別に…」と素っ気なく返したことから、彼のTwitterが炎上した。

    Twitterの1ユーザーが週末、クロスビーに「デヴィッド、あなたがメタル好きではないのはわかっているけど、エディ・ヴァン・ヘイレンに対するあなたの意見は?」と質問したところ、クロスビーは関心がないようで、ただ「Meh...(別に…)」とつぶやき返した。

    これには、エディを崇拝するミュージシャン仲間やファンが猛反発。しかし、クロスビーは「それって失礼」との意見には「悪いな…彼はそれほど俺の心を動かさなかったって意味だ」と返信したり、「ヘンドリックスはギターの世界を変えた。他には誰も…ああ、わかったよ…君らの多くはヴァン・ヘイレンを愛してた…一度会ったとき、彼はナイスだった…それに彼には才能があった…別にっていうのは、俺にとっては、あまり気にかけていないって意味だ…そうなんだよ…彼が良くなかったって意味じゃない、彼は良かった、でも俺向きじゃない」とつぶやいた。

    クロスビーを擁護する人たちもいるものの、L.A.ガンズのトレイシー・ガンズは、「クソッタレ。クソな答え。何よりクソ野郎。誰が何を言おうが構わない。ふざけんな デヴィッド」と怒りをぶちまけ、トゥイステッド・シスターのディー・スナイダーは、これに「同感。俺はずっとデヴィッド・クロスビーと奴の口髭が大嫌いだった」とリツイートしている。

    カナダ出身のロック・バンドDanko Jonesのフロントマン/ギタリストは「俺にとってデヴィッド・クロスビーはいつだって、惰性から称賛を得てきたいい例だ。もちろん、彼はEVHのような真の天才を正しく評価できない」「誰にだって自分の意見を言う権利はあるが、EVHは亡くなったばかりだ。クロスビーは低能なゴミ箱」などと批判し、クロスビーからブロックされたようだ。

    (以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

    Ako Suzuki

    【デヴィッド・クロスビー 、亡くなったエディ・ヴァン・ヘイレンに対するコメントで炎上。】の続きを読む

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    1: 鉄チーズ烏 ★ 2020/10/08(木) 20:27:06.24 ID:CAP_USER9
     アメリカのレジェンド・バンド「VAN HALEN」のギタリストとして活躍したエディ・ヴァン・ヘイレンが10月6日、がんの闘病の末、65歳で他界した。息子のウルフ氏が発表した。

     アルバム「1984」や「5150」が日本を始め、世界中で大ヒットしたVAN HALENで、エディは、右手の指で弦を押す、独得の「ライトハンド奏法」で、世のギターファンの人気を集めた。一般的な音楽ファンには、マイケル・ジャクソンの大ヒットナンバー「Beat It」(邦題「今夜はビート・イット」)でソロパートを演奏したことで知られた。

     エディ・ヴァン・ヘイレンの急逝に際し、昨年35周年を迎えた音楽雑誌「BURRN!」で、26年にわたって編集長を務める広瀬和生さんが、「文春オンライン」に緊急寄稿した。

     ギター奏法の歴史を大きく変えた天才ギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレン。彼は間違いなくロック史で最も重要なギタリストの1人に数えられるだろう。

     そのデビューは鮮烈だった。“天性のエンターテイナー”デイヴィッド・リー・ロスをヴォーカルにフィーチュアした米国ハード・ロック・バンド、VAN HALENがデビューしたのは1978年のこと。ロックの世界をパンクが席巻し、ディスコブームにより音楽業界のメインストリームはダンス音楽一色、ハード・ロックが衰退の一途を辿っていた時代に、VAN HALENのデビュー・アルバムは全米チャート最高19位と大健闘、新人バンドとしては驚異的な300万枚というセールスを記録した。

    ■「ライトハンド奏法」エディの出現でロックギターは変わった

     今と違ってバンドが実際に演奏している姿を映像として観ることが困難だった時代、彼らのライヴを観たことがないロック・ファン、特にギタリストにとって最大の驚きは、エディが「あり得ないフレーズを弾いている」ことだった。右手で弦を指板上に叩きつける「タッピング奏法」を用いるギタリストはそれまでも存在したようだが、驚異的なスピードでそれを用いるエディ・ヴァン・ヘイレンが彗星の如く現われるまで、それは一般には知られざる「秘技」だった。実際、あるプロの一流ギタリストから「当時はエディがどうやって弾いているのか全然わからなかった」と聞いたことがある。

     エディの出現により「ライトハンド奏法」と呼ばれることになったこのテクニックは、一気にロック・ギタリストの間に広まり、80年代以降のギタリストにとってごく基本的な奏法となっていったが、当時はまさに「革命」だった。エディ以前に彼に匹敵するほどの「革命」を起こしたロック・ギタリストはジミ・ヘンドリックスただ1人と言ってもいい。エディのタッピングを交えた速弾きスタイルは、それまでのブルーズを基盤とするロック・ギターの在り方を大きく変えた。

     VAN HALENの名曲「Jump」が全米1位に輝いたのは1984年のこと。全世界的なヘヴィ・メタル・ブームが巻き起こっていた当時、アメリカでブームを牽引した“LAメタル”勢の頂点にはVAN HALENが君臨した。当時、このシーンでエディの影響を受けなかったギタリストは皆無だったし、それは全世界的な視野で見ても同じで、ジャパニーズ・メタルの頂点に君臨したLOUDNESSの高崎晃に代表されるように、ここ日本でもエディの影響力は絶大だった。誤解を恐れずに言えば、ロック・ギターの歴史は「エディ以前」と「エディ以降」に分けられる。エディはそれほどまでにエポックメイキングな存在だったのである。

    ■ハードロックながら全米チャート1位連発の偉業

     エディがロック・ギター史において「別格」であるのは、何よりそのポピュラリティによる。デビュー以来、すべてのアルバムでプラチナムを獲得してきたVAN HALENは、ヴォーカリストをサミー・ヘイガーに交代させた1986年の「5150」以来、1996年にサミーが脱退するまでの4枚のスタジオ・アルバムのすべてが全米チャートで1位を獲得するという偉業を成し遂げた。

     これほどまでにヒット作を出し続けたハード・ロック・ギタリストは、LED ZEPPELINのジミー・ペイジくらいだ。だからこそ、エディの死は全世界的なトップニュースとなった。今回の訃報で、エディがマイケル・ジャクソンの「Beat It」でソロを弾いていたことに触れている例は少なくないが、あの曲がリリースされた当時の感覚では、マイケルが「あの“ギター・ヒーロー”エディ・ヴァン・ヘイレンを起用した」ことが凄かったのであって、マイケルに起用されたからエディが有名になったわけではないのである。

    (以下略、続きはソースでご確認下さい)

    https://bunshun.jp/articles/-/40758?page=1
    https://bunshun.ismcdn.jp/mwimgs/4/1/1500wm/img_415275c089e4585e966eb802f256d77d753439.jpg 
    img_415275c089e4585e966eb802f256d77d753439

    【天才ギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンはなぜ”別格”なのか。】の続きを読む

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    1: 湛然 ★ 2020/10/08(木) 22:47:56.88 ID:CAP_USER9
    サミー・ヘイガー、長年の確執で知られていたエディ・ヴァン・ヘイレンと生前に関係を修復していたことを明かす
    10/8(木) 17:18 rockinon.com
    https://news.yahoo.co.jp/articles/1bbecd33a0ad06d315eb4e2cc4e9219ce404f748


    サミー・ヘイガー、長年の確執で知られていたエディ・ヴァン・ヘイレンと生前に関係を修復していたことを明かす

    ヴァン・ヘイレンの2代目フロントマンだったサミー・ヘイガーが、長年の確執で知られていたエディ・ヴァン・ヘイレンと、生前に関係を修復していたことを明かしていたことがわかった。

    1985年にサミーは、デイヴィッド・リー・ロスの代わりにヴァン・ヘイレンに加入したが、1996年に脱退。メンバーとの不仲が原因だったと言われている。

    「Ultimate Classic Rock」によると、サミーがSiriusXMの番組「The Howard Stern Show」に、次のような内容の文を送ったという。

    「エディと私はテキストをやり取りし、今年初めにコミュニケーションを取り始めて以来、私たちは仲良くやっていた。リユニオンなどの噂が飛び交うから、そのことは誰にも言わないとお互いに同意していた。エディも私も再結成がないことはわかっていたからだ。それに彼は、自分の健康について誰にも知られたくなかったんだ」

    バンド脱退後にサミーはメンバーと和解しようとする試みと、エディとドラマーのアレックスに対する批判を交互に繰り返していたとのこと。しかし、デヴィッド・ボウイとグレン・フライが亡くなった後、サミーは過去のインタビューでエディとの関係を考え直したと語っていたそうだ。

    「(二人の死で)批判をやめて、エディ・ヴァン・ヘイレンとの関係や良くなかった物事について考え、『後悔や因縁なんかを持ったまま埋葬されたくない』と思ったんだ。ただ皆と友達になって、『もう忘れよう』と言いたくなったんだよ」

    なお、サミーはエディの訃報を受け、「胸が張り裂けそうで言葉もでない。私の愛が家族に届きますように」と追悼の意を示している。

    (おわり)


    @sammyhagar
    https://pbs.twimg.com/media/Ejq_swmUcAASxOP.jpg
    https://twitter.com/sammyhagar/status/1313573065524047873
    https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)

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    1: 鉄チーズ烏 ★ 2020/10/07(水) 19:27:19.04 ID:CAP_USER9
    2020/10/07 10:09掲載
    http://amass.jp/139941/
    https://pbs.twimg.com/media/Ejr7LraVgAAQ6KB.jpg
    Ejr7LraVgAAQ6KB

    ヴァン・ヘイレン(Van Halen)のヴォーカリスト、デヴィッド・リー・ロス(David Lee Roth)は自身のツイッターで、亡くなったバンドメイト、エディ・ヴァン・ヘイレン(Eddie Van Halen)を追悼。「なんて長い素晴らしい旅だったんだろう..」というコメントと共に2人の写真を投稿しています

    【デヴィッド・リー・ロス、エディ・ヴァン・ヘイレンを追悼。「なんて長い素晴らしい旅だったんだろう。」】の続きを読む

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    1: かわる ★ 2020/10/07(水) 05:52:53.79 ID:EzWsZZOG9
    【AFP=時事】(更新)ハードロック界を代表する米バンド、ヴァン・ヘイレン(Van Halen)を率いたギタリストのエディ・ヴァン・ヘイレン(Eddie Van Halen)さんが6日、がんとの闘病の末、死去した。65歳。息子のウルフ(Wolf Van Halen)さんが発表した。

    【写真】生前のパフォーマンスの様子

     ウルフさんはツイッター(Twitter)への投稿で父エディさんの訃報を発表。「最高の父親だった。オンステージ、オフステージで一緒に過ごした全ての時間が贈り物だった」と追悼し、「この死から完全に立ち直れるとは思えない。本当に大好きだよ、パパ」とつづった。

     オランダで生まれ、米カリフォルニア州で育ったヴァン・ヘイレンさんは1970年代、兄アレックス(Alex Van Halen)さんと共にヴァン・ヘイレンを結成。瞬く間に人気を集めた。代表曲には「悪魔のハイウェイ(Runnin' with the Devil)」、ギターソロ曲の「暗闇の爆撃(Eruption)」などがある。【翻訳編集】 AFPBB News
    https://news.yahoo.co.jp/articles/833a3ec2c07b4aa2de965f0155f884f09aa928e7

    【エディ・ヴァン・ヘイレンさん、 がん闘病の末に死去。】の続きを読む

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    1: 湛然 ★ 2020/05/14(木) 22:43:12.08 ID:EKjn+J789
    ヴァン・ヘイレンを発掘したプロデューサー「デイヴィッド・リー・ロスが頭痛のタネだった」
    2020.5.14 16:05
    https://www.barks.jp/news/?id=1000182578
    https://img.barks.jp/image/review/1000182578/001.jpg
    001


    ワーナー・ブラザーズ・レコードに所属し、ヴァン・ヘイレン、ドゥービー・ブラザーズ、ヴァン・モリソン、サミー・ヘイガーらの作品を手掛けてきたプロデューサーのテッド・テンプルマンが、先月、自叙伝『Ted Templeman: A Platinum Producer’s Life in Music』を出版した。

    テンプルマンはこの中で、1977年、彼とワーナー・ブラザーズ・レコードの当時の社長モー・オースティンがヴァン・ヘイレンと契約を結ぶにあたり、彼が最も懸念したのがデイヴィッド・リー・ロスで、シンガーの入れ替えを考えていたと綴った。ファンの間では知られていることのようだが、テンプルマンはあらためて自叙伝で当時の胸の内を明かした。

    「パフォーマー、ヴォーカリストとして、彼は僕をひどくガッカリさせた。ステージ上ではぎこちなく、歌も素晴らしくはなかった。モーがシンガーにうんざりし、ヴァン・ヘイレンを見送ることにするんじゃないかってちょっと心配だった。本当にロスは僕をひやひやさせた。このバンドと契約し、シンガーが責任を果たせなかったらどうしようって考えてた。最悪、ギター・プレイヤーはソロ・アーティストにできるとしても……。僕は、シンガーをより強力なヴォーカリスト、モントローズのリード・シンガー、サミー・ヘイガーあたりと交代させることを検討し始めた。ヘイガーはぴったりだと思った」

    しかし、一緒に過ごす時間が増えると、ロスの才能に目を見張るようになったという。「彼と長いこと話をした。そのとき、彼の驚異的な知性に気づかされたんだ。彼はトム・ソーヤーの一節を用いた次にコミック・ブックの一節を持ってきたりした。彼のように意識の流れをその場でポンポン、上手く口にできるような人を僕は知らない。彼の歌詞、とくに“Ain’t Talkin’ Bout Love”を読めば読むほど、僕は感銘を受けるようになった」「彼はものすごく博識で頭がいい」

    そして、スタジオに入った当初は、ロスは「最大の問題」「修正できない」と思い込んでいたのを、どうやったら彼の強みを引き立て弱点を抑えられるかと考え直すようになり、ヘイガーに連絡を取るのは止めたそうだ。「もし、僕が1977年にサミーをヴァン・ヘイレンに迎えていたら、僕はロック史最大の間違いを犯していたことになるだろう。ヴァン・ヘイレンはデイヴがフロントマンでなければ、成功していなかった」

    (以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

    Ako Suzuki

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    1: 湛然 ★ 2020/04/26(日) 16:06:44.73 ID:9269ZP819
    2020.4.26 日曜日
    エディ・ヴァン・ヘイレン、リンプ・ビズキットのフレッド・ダーストに銃を突きつけた逸話が明らかに
    https://nme-jp.com/news/88388/
    GETTY
    https://nme-jp.com/nmesite/wp-content/uploads/2020/04/Limp-Bizkit-Van-Halen-720x458.jpg
    Limp-Bizkit-Van-Halen-720x458


    映像作家にしてフォトグラファーのアンドリュー・ベネットの新しい著書によれば、エディ・ヴァン・ヘイレンはかつて不運名ジャム・セッションの後、リンプ・ビズキットのフレッド・ダーストの頭に銃を突きつけたという。

    アンドリュー・ベネットは新たなコーヒー・テーブル・フォト・ブック『イラプション・イン・ザ・キャニオン:212デイズ・アンド・ナイツ・ウィズ・ザ・ジーニアス・オブ・エディ・ヴァン・ヘイレン』を刊行しており、2004年から2007年の間にバンドを撮影してきた時の写真と逸話が掲載されている。

    「アルティメット・クラシック・ロック」によれば、ウェス・ボーランドがリンプ・ビズキットを脱退してギタリストを探している時にフレッド・ダーストとエディ・ヴァン・ヘイレンはお互いに知り合うことになったという。

    レーベルの重役が一緒にやってみることを提案したところ、フレッド・ダーストは次のように応じたとアンドリュー・ベネットは述べている。「爆笑だよな。過去最高のギタリストが過去最悪のバンドとやるなんてね」しかし、エディ・ヴァン・ヘイレンは「どうでもいい。ジャムをやってみよう」と語ったという。

    アンドリュー・ベネットによれば、セッションはビヴァリー・ヒルズにある1件の家で行われたとのことだが、エディ・ヴァン・ヘイレンはフレッド・ダーストがマリファナを吸っているのが気に入らなかったらしく、ギターもアンプも置き去りのまま立ち去ったとのことで「幼稚園児の中に学者がいるようだった」という。

    翌日、機材を回収しようと24時間にわたってフレッド・ダーストと連絡が取れなかったことを受けて、エディ・ヴァン・ヘイレンは自らの手で対応することを決め、軍のオークションで購入した装甲車でフレッド・ダーストの自宅に向かっている。

    「シャツも来ておらず、侍風に髪を結って、ジーンズは紐で止められ、コンバット・ブーツはダクト・テープで止められていた。その手には銃があったんだ」とアンドリュー・ベネットは述べている。

    「あのバカがドアで応対してきたからさ」とアンドリュー・ベネットはエディ・ヴァン・ヘイレンの発言を著書で紹介している。「あいつのくだらねえ赤い帽子に銃を突きつけて『俺の機材はどこにあるんだ? このクソ野郎』ってね。あいつは雇っている奴のほうを向いて、機材を持ってくるよう叫んでいたよ」

    「エディ・ヴァン・ヘイレンは降り注ぐ日差しの中、フレッド・ダーストに銃を向けながらビヴァリー・ヒルズにある邸宅の前庭の芝生に立って、タバコを吸っていた。フレッド・ダーストはアンプやギターを運び出すのに装甲車と自宅の間を行ったり来たりしていたよ」

    (以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

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    1: 湛然 ★ 2020/04/15(水) 23:09:39.40 ID:83/D3qHG9
    サミー・ヘイガー&ザ・サークル、ヴァン・ヘイレンのカヴァー「Good Enough」のミュージックビデオ公開
    2020/04/15 07:29掲載
    http://amass.jp/133537/

    Sammy Hagar & The Circle - "Good Enough" (Lockdown Sessions No. 3)
    https://www.youtube.com/watch?v=CP4FVRHUDWY




    サミー・ヘイガー(Sammy Hagar)率いるバンド、サミー・ヘイガー&ザ・サークル(Sammy Hagar & The Circle)は、新型コロナウイルスで自宅待機している時間を使って新たな音源を制作。
    新曲「Funky Feng Shui」、ザ・フー(The Who)のカヴァー「Won't Get Fooled Again」に続いて、ヴァン・ヘイレン(Van Halen)のカヴァー「Good Enough」を録音。
    メンバーそれぞれの自宅で撮影した映像を使って制作されたミュージックビデオが公開されています。

    メンバーは、サミー・ヘイガー、ドラマーのジェイソン・ボーナム(Jason Bonham)、ギタリストのヴィック・ジョンソン(Vic Johnson)、ベーシストのマイケル・アンソニー(Michael Anthony)の4人。


    (おわり)

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