メタルは負けず嫌い

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    チェッカーズ

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    1: muffin ★ 2022/07/04(月) 22:19:24.57 ID:CAP_USER9
    https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/07/04/kiji/20220704s00041000303000c.html
    2022年7月4日

    シンガーソングライターの藤井フミヤ(59)が3日、TBSラジオ「藤井フミヤ RED RADIO PARTY」(後8・00)に出演。「チェッカーズ」の再結成に対する考えを述べた。

    福岡県久留米市出身の藤井は1983年9月にロックバンド「チェッカーズ」のリードボーカルとしてデビュー、92年12月の解散後はソロとして活躍してきた。

    解散時の思いについては「解散をするって言って、そっから1年間活動するんですけど、いろんな思いがありますよ」としながらも「バンドってね、作った時に解散のことって考えてるんですよ。バンドってそういうもので、一生バンドでやっていこうとはあんま思ってないっていうか。バンドはいつか解散するって思ってて。解散するんだったら絶対カッコイイ時っていうか、盛り上がってる時っていうか」と強調した。

    藤井はバンドにはパッと盛り上がり解散する「ビートルズ型」と長く活動を続ける「ローリング・ストーンズ型」があるとし、「まあどっちかだと思いますね」と考察した。「でも最近は再結成っていうのが意外と多いですね」としながらも、「まあチェッカーズの場合はね、クロベエがね、いなくなっちゃったんで。ある意味再結成っていうのは、ちょっとないですね」と明言。2004年8月にはドラムス担当のクロベエこと、徳永善也さんが舌がんにより死去しているために、再結成はないとした。

    「チェッカーズは10年やりましたね。それが短いのか長いのかは分かりませんけど」と藤井。「でもチェッカーズっていうバンドは田舎から一緒に出てきた集団就職バンドで、意外とチェッカーズが売れてからいろんなバンドが出てきましたけど、事務所に作られたバンドっていうのが比較的に多いんですね。チェッカーズっていうのは田舎で活動して、そのメンバーで集団就職なんで、そういう空気感もあって売れたっていうのもあると思うんですけど」と分析した。

    「チェッカーズ」としての最後のステージは紅白歌合戦だった。「紅白歌合戦の楽屋で“久留米で組んだバンドが、終わりが紅白、良かったんじゃねえか”っていうことを言った覚えがあります」と振り返った。

    【藤井フミヤ『チェッカーズ』再結成は「ないですね」と明言。「クロベエがね、いなくなっちゃったんで。」】の続きを読む

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    1: muffin ★ 2022/07/04(月) 17:39:03.39 ID:CAP_USER9
    https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/07/04/kiji/20220704s00041000463000c.html
    2022年7月4日

    シンガーソングライターの藤井フミヤ(59)が3日、TBSラジオ「藤井フミヤ RED RADIO PARTY」(後8・00)に出演。「チェッカーズ」時代の楽曲が、NHKで歌唱禁止だったことを明かし、理由について語った。

    福岡県久留米市出身の藤井は1983年9月にロックバンド「チェッカーズ」のリードボーカルとしてデビュー、92年12月の解散後はソロとして活躍してきた。

    番組で藤井は「チェッカーズ」の1986年10月発売の楽曲「NANA」を紹介。作詞は藤井、作曲は弟、藤井尚之が手掛けており、「とうとうチェッカーズ、初めて自分達で曲を作り出すというか、オリジナルのシングルが12枚目のシングルでようやく出ますね」と説明した。

    また「この曲は運がいいのか悪いのかですね、NHKで歌えなくなりまして」と告白。歌詞の「最後の“過去脱ぎ捨ててやろうぜナナ”これ、“過去を脱ぎ捨ててやろうぜ、(句読)点、ナナ”だったらいいんですけど、“過去を脱ぎ捨てて、点、やろうぜナナ”とNHKは取ってしまったので…。この点の置き場なんですけど、歌詞カードには点ついてたんですけど、まあそういうふうに聞こえてしまったということですね」と苦笑した。

    「気持ちとしては私としては“過去脱ぎ捨てて、やろうぜナナ”という気持ちでは書いてたので、NHKさんには俺の気持ちは伝わってたということになりますね」と冷静に語った。

    https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/07/01/jpeg/20220701s00041000678000p_view.jpg 
    20220701s00041000678000p_view

    【藤井フミヤ、『チェッカーズ』時代の楽曲”NANA”がNHKで歌唱禁止に。 「そういうふうに聞こえてしまった」と苦笑い。】の続きを読む

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    1: 湛然 ★ 2022/02/19(土) 09:01:05.04 ID:CAP_USER9
    還暦迎える藤井フミヤ、「涙のリクエスト」解禁…「人生何があるかわからない」
    2/18(金) 11:04 読売新聞オンライン
    https://news.yahoo.co.jp/articles/8b0aefa8e02cf00c01b21be9a08fb9214d18c437
    「大それた夢は見ないし、いらない。望むのはファンを大切にしながら健康に生きていくことかな」と語る藤井さん(和歌山市で)
    https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20220217-00050275-yom-000-38-view.jpg
    20220217-00050275-yom-000-38-view


     歌手・藤井フミヤさん(59)が3月12日、和歌山市の県民文化会館大ホールでコンサートツアー「十音(とおん)楽団 青いレーベル」の公演に挑む。公演を前に、ツアーに込めた思いやコロナ禍による心境の変化などを語った。(中井道子)

     1月、和歌山支局を訪れた藤井さんは、会議室から見える和歌山城の天守閣に「これはいい眺めだなあ」とひと言。今年還暦とは思えない若々しさと、周囲を威圧しない穏やかな空気をまとっている。

     昨年11月に始まったツアーは、ボーカルにバイオリン、パーカッションなどを加えた10人編成。何の曲が入っているかわからない「青いレーベル」を見つけた藤井さんが、〈ここに1枚の古いレコードがある……さあ、一緒に聴いてみよう〉と語りかけ、観客を歌の世界へいざなう。

     全体を6章に分け各章の冒頭に藤井さんのセリフが入る、一人芝居と演奏を融合させた総合エンターテインメントだ。自ら脚本、演出を担当し、「同じ歌を聴いても、思い出す記憶は人によって違う。ひとつしかない自分の物語を、コンサートを通じて紡いでもらうような試みです」と語る。

     十音楽団でのコンサートは、2019年が初演。評判は良く、早々に第2弾の企画が内定していた。ところが20年3月、新型コロナウイルスによって音楽界は大きな打撃を受ける。「全員、失業でしたから。コンサートで食べていた照明さんも、音響さんも、コンサートスタッフもみんな。しかも全世界で一度に。映画みたいな出来事でした」

     ぼう然としながらも「何ができるのか」と考え、同年4月、動画投稿サイト「YouTube」にギターの弾き語りを公開した。曲は「涙のリクエスト」(1984年)。長年、封印してきたチェッカーズ時代の名曲だ。なぜ、このタイミングで再び歌ったのだろうか。

     「人生何があるかわからないんだな、と身をもって感じたから。今の自分の方向性と交わらないとか、一人で歌ったら他のメンバーに悪いとか、そんなことにこだわっている時じゃないと思ったんだよね」

     SNS上のファンの喜ぶ声に後押しされ、翌月には同じくチェッカーズの「Song for U.S.A.」(86年)を公開。ひとつの歌を分かち合えば、離れていても、心は「密」になれると再確認した。

    (※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

    【還暦迎える藤井フミヤ、”涙のリクエスト”解禁。「人生何があるかわからない。」】の続きを読む

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    1: 湛然 ★ 2021/04/29(木) 21:51:23.58 ID:CAP_USER9
    藤井フミヤの名前を出すと…「チェッカーズ和解」報道を武内享と高杢禎彦に直撃
    4/29(木) 21:01 週刊女性PRIME
    https://news.yahoo.co.jp/articles/b762edc4eea330f6dbc8eeff8c9f1f5de12fe6fb?page=1
    https://jprime.ismcdn.jp/mwimgs/a/9/-/img_a993a2e4c8cf2784d1f7c95ee71ec50b842341.jpg 
    img_a993a2e4c8cf2784d1f7c95ee71ec50b842341

    https://jprime.ismcdn.jp/mwimgs/8/3/-/img_8390a7df14468cd931682e2d450eb5aa599521.jpg 
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    https://jprime.ismcdn.jp/mwimgs/f/4/-/img_f460fec5ee6e3648a161fa6d019680d9558075.jpg 
    img_f460fec5ee6e3648a161fa6d019680d9558075

    (※抜粋)

    ◆フミヤの名前を出すやいなや

     再結成の気運は高まるばかりだが、ほかのメンバーはどう見ているのか。4月下旬、リーダーを務めた武内を都内で直撃した。

    ─フミヤさんがチェッカーズの曲を解禁しましたが?

    「アブラーズの'18年のライブDVDの件は知っていますか? あれがきっかけですから、特に驚いたりはしません」

     たしかに'18年10月のアブラーズのライブでは、フミヤも特別参加し、一緒にチェッカーズの曲を歌っている。

    「昨年、オレが芹澤さんに“フミヤが参加した'18年のライブDVDを商品化させていただきます”と直接報告したんです。同時にフミヤにも“直接話せばきっと和解できる”という話もしました。それが2人の雪解けにつながったんじゃないでしょうか」

     武内は、陰ながら彼らの懸け橋になっていたことを明かしてくれた。

    ─再結成を期待する声もあがっています。

    「絶対やりません。クロベエ(徳永さん)はもういないんですから」

     再結成については固く否定する武内。アブラーズ以外のメンバーとは、最近は会っているのだろうか。

    「(フミヤには)仕事する以外は、お互い忙しいですから。めったに会わないです」

    ─高杢さんと連絡は?

    「……全然ないです。でも、いつか一緒にメシでも食える関係になれればと思っています。一緒に東京に出てきた仲間ですから」

     リーダーも近況を知らない高杢の現在。彼のSNSには、地元の福岡での仕事が告知されており、今も芸能活動を続けているように見えるが……。

    「彼の奥さんは埼玉県内の旅館の女将さんなんです。高杢さんもお客さんの送り迎えや買い出しといった奥さんの仕事を手伝っています。接客中はトレードマークだった口ヒゲも剃って、すっかり旅館のスタッフ。最近では、宅配会社や建築測量会社の事業顧問に就任するなど、芸能以外の仕事もいろいろやってるみたいです」(旅館の近隣住民)

     真相を確かめるため、旅館前で待つこと数時間。裏口からひっそりと出てきて車に乗り込もうとする男性の顔を見ると……。高杢だ。

     フミヤに対する心境に変化はあるのか。運転席に座ったところを直撃した。

    ─フミヤさんがチェッカーズの楽曲を解禁させましたが、これは高杢さんとも雪解けということですか?

    「いやいやいや……」

     フミヤの名前を出すやいなや苦笑しながら取材を拒絶。車の窓を閉め、沈黙する彼に代わって答えてくれたのは、高杢の妻だった。

    「今日は主人の“ヒゲ”もないので取材はやめてください。チェッカーズのみなさんとは現在、距離を置いていますので何もわかりません」

    ─フミヤさんが芹澤氏と和解しましたが……。

    「おめでたい話ですよね。これでみんな仲よく元気になればなと思います」

     そう言い残し夫婦で車に乗って去っていった。

    “ギザギザ”になってしまった高杢のハートが、元どおりになる日は来るのか。

    (おわり)

    【『チェッカーズ』和解報道を武内享と高杢禎彦に直撃。】の続きを読む

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    1: 爆笑ゴリラ ★ 2021/04/22(木) 19:02:23.00 ID:CAP_USER9
    4/21(水) 21:36配信
    週刊女性PRIME

    藤井フミヤ

    《藤井フミヤ「チェッカーズ再結成へ」絶縁恩師と「涙の和解」》(『女性自身』4月13日号)
    《藤井フミヤ語った!「チェッカーズ復活と母との別れ」》(『女性セブン』4月29日号)

     久方ぶりに「藤井フミヤ」と「チェッカーズ」の名前が週刊誌の見出しに踊った。前者は3月27日にフミヤが出演したNHKのBS番組、そして後者は4月上旬に開催されたコンサートツアーを受けてのものだった。そして共通して報じられたのが、彼が『ギザギザハートの子守唄』を歌った、というもの。チェッカーズの曲を公の場で披露したのは、グループが解散した1992年以降、実に29年ぶりのことだーー。

     チェッカーズの幼なじみらを中心に7人で結成され、1983年にデビューするとそのビジュアルもあいまってアイドル的人気を博した。ところが、スター街道を歩む一方で徐々に足並みが乱れ始める。特に、フミヤとサイドボーカルを務めていた高杢禎彦に不仲が囁かれるようになった。

    「解散理由とされたのは俗に言う“方向性の違い”でしたが、デビュー時から楽曲を提供していた作曲家の芹澤廣明さんとの“絶縁”も大きく影響したと言います。1986年に発表された名曲『Song for U.S.A』を最後に芹澤さんはチェッカーズから離れ、その後は主に作詞をフミヤ、作曲を弟の藤井尚之が担当するように。

     これに納得いかなかったのが、恩師でもある芹澤さんを尊敬していた高杢。次第にグループはフミヤ派と高杢派に分断されていったと言います」(スポーツ紙芸能デスク)

    フミヤが“和解”を申し入れた
     先の『女性自身』では、かつて《『芹澤さんの歌は、もう歌いたくない』、フミヤがそうはっきりと言ったというんです。ぼくにしたら、仕事を頼まれただけでそんなことを言われる筋合いはない》とまで話していた、芹澤氏との和解を報じた。なんでも、昨年9月に突然、フミヤから連絡が入ったのだという。

     そして食事をして雪解けした2人は、フミヤの提案でNHKの番組に揃って出演することになった、というものだった。

     一方の『女性セブン』では、フミヤ本人への直撃取材も試みている。『ギザギザハートの子守唄』を長らく“封印”していた理由について、《チェッカーズの曲をおれがひとりで歌って、それをビジネスにするのは抵抗があったんだよね…》と、芹澤氏との確執が原因ではないことを強調。

     さらに、《お会いしたとき、芹澤さんも『どんどん歌って』って言ってくれたし、これからも曲を書いてくださいっていう話もして》と、恩師とわだかまりがなくなったことを明かしたのだった。

     しかし、彼が仲違いをしていた幼馴染みも黙っていない。2003年の著書『チェッカーズ』(新潮社刊)において《金のためなら恩も売る。これがチェッカーズの本質だったのか!》と、フミヤが恩師を裏切ったとして痛烈に批判した高杢とは、いまだ関係は冷えたままのようだ。

    全文はソース元で
    https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20210421-00020670-jprime-000-4-view.jpg
    20210421-00020670-jprime-000-4-view

    https://news.yahoo.co.jp/articles/f80179ea327e8f4aac70cb12b364f94a1b195f66
    ★1が立った時間 2021/04/22(木) 08:20:52.97
    前スレ
    https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1619047252/

    【藤井フミヤ、『チェッカーズ』曲“解禁”に透ける打算と「フミヤは許せない」高杢禎彦の今。】の続きを読む

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    1: 爆笑ゴリラ ★ 2020/12/02(水) 21:59:11.59 ID:CAP_USER9
    12/2(水) 20:58配信
    スポニチアネックス

    歌手の藤井フミヤ

     歌手の藤井フミヤ(58)が2日、フジテレビの音楽番組「2020 FNS歌謡祭 第1夜」(水曜後6・30)に出演し、チェッカーズの名曲「星屑のステージ」を24年ぶりに、「ジュリアに傷心」を19年ぶりに地上波で熱唱した。

     藤井は「テレビ局で歌うとね、ちょっとグッとくるものが自分の中である」と心境を明かし、「カメラワークとか見ながら歌うと、『夜のヒットスタジオ』を思い出す」と語った。

     「ジュリアに傷心」では4人組バンド「DISH//」とコラボ。「DISH//」のメンバー全員がチェッカーズ解散以降に生まれているが、ボーカルの北村匠海(23)は「実は僕たちDISH//がまだ10代の時にチェッカーズさんのライブをみんなで見ていた時代がありまして」と映像で見ていたことを明かした。

     北村は「めちゃくちゃかっこいいし、めちゃくちゃ動くし、演奏も音圧も凄いし」とチェッカーズの凄さを語り、演奏の参考にしていたという。「今こうやって一緒にステージで歌える。そのバトンを少しでも受け継ぐ気持ちで、かみしめてやりたいと思います」と、藤井とのコラボへの思いを胸に熱唱した。

    https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20201202-00000252-spnannex-000-3-view.jpg?w=486&h=640&q=90&exp=10800&pri=l
    20201202-00000252-spnannex-000-3-view

    https://news.yahoo.co.jp/articles/3f694ce2a3ef8ce7eeca04573038607a999aa2c7

    【藤井フミヤ、『チェッカーズ』名曲披露。「グッとくるものが。」 北村匠海「バトンを少しでも受け継ぐ気持ちで。」】の続きを読む

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    1: フォーエバー ★ 2020/08/21(金) 18:34:31.55 ID:CAP_USER9
    バブル直前の1980年代半ばに社会現象と言っていいほどのブームを巻き起こしたチェッカーズ。『NHK紅白歌合戦』に9年連続出演を果たし、TVの音楽番組『ザ・ベストテン』(1984年)にデビュー曲「ギザギザハートの子守唄」、「涙のリクエスト」、「哀しくてジェラシー」の3曲が同時にランクインしたことがあるほどだ。アイドルでありながら(本人たちも1992年の解散までアイドルというスタンスを貫いた)、ロックンロール育ちのルーツを感じさせ、ゴスペルから派生したドゥワップコーラスを取り入れたスタイルは当時のアイドルシーンにはない斬新なものだった。

    昨年2019年には元チェッカーズの武内亨(ギター)、大土井裕二(ベース)、藤井尚之(サックス)が結成したバンド、アブラーズのライブに藤井フミヤがゲストで登場し、「涙のリクエスト」などを歌ったサプライズがファンを驚かせた。今回、全盛期のチェッカーズが出演した人気音楽番組「ザ・トップテン」、「歌のトップテン」がホームドラマチャンネルにて放送される。誰もが1曲は口ずさめたであろうチェッカーズが起こした現象とその実力とは?

    ■同性にも支持されたチェッカーズ

    1983年にデビューしたチェッカーズは楽曲のみならず、ファッションも当時の10代、20代に大きな影響を与えた。チェックの衣装は初期の彼らのトレードマークでボーカルの藤井郁弥のテクノ風で前髪が長いヘアスタイルは、多くの男子が美容室に写真を持っていって「こんな感じにしてください」と真似したほどのモテカットだった。ちなみに当時のアイドルシーンといえば女子では松田聖子、中森明菜が大スター。松田聖子のブローが決め手の髪型も多くの女子たちが聖子ちゃんカットになるというほどの現象を巻き起こしたが、偶然ながら松田聖子も藤井郁弥も福岡県久留米市出身で同じ1962年生まれである。

    藤井郁弥と藤井尚之は実の兄弟で今の時代ならイケメン兄弟と言われていたこと間違いなし。「かわいい!」「カッコいい!」と女子から騒がれながら、男子からもチェッカーズが人気だったのはどこか不良の匂いを放つ彼らの存在感と気どりのなさ、つまりストリートの魅力を感じさせるアイドルグループだったからかもしれない。

    ■バンド活動を経験したからこそのチェッカーズのポップで尖った魅力

    そもそもチェッカーズがアイドルの型にハマっていなかったのは彼らのルーツにも関係がある。7人中、ほとんどのメンバーがバンド経験者。藤井郁弥が中学生の頃に矢沢永吉が組んでいたバンド、キャロルの解散コンサートを映像で見て衝撃を受けたのは有名な話だが、メンバーは歌謡曲以外にロカビリー、ロックンロール、モータウン、R&Bなどの洗礼を受けて、チェッカーズ結成に至ったのではないだろうか。彼らは日本人として初めて円形ステージ(大阪城ホール)でのライブを行ったグループでもある。

    今回、オンエアされるヒット曲「ジュリアの傷心」(1984年)はロックバンドを数多く輩出した九州出身のバンドらしいビートのキレやギターのストローク、絶妙なところで入ってくるサックスなど彼らのバンド力を感じさせるナンバー。シングルとしては初めてメンバーの手によるオリジナルのA面曲となった「NANA」(1986年)は当時、郁弥の歌詞が刺激的すぎるという理由でNHKで放送禁止になったことがある曲。彼らの音楽ルーツが垣間見えることだろう。

    8/21(金) 17:00配信
    https://news.yahoo.co.jp/articles/3f8b32411e497a454e2203c4d9db1444eb81ea43
    https://i.imgur.com/fq2y6ro.jpg 
    fq2y6ro

    【『チェッカーズ』、多くの人を魅了した華やかなパフォーマンスと確かな実力。】の続きを読む

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    1: 湛然 ★ 2020/04/22(水) 22:57:07.31 ID:F9pch4x59
    4/20(月) 16:51 ENCOUNT
    藤井フミヤ「うたつなぎ」で全国の卒業生に感動の歌を披露!木梨のリクエストには驚きのギャグでお返し
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200420-00010023-encount-ent

    #うたつなぎ「卒業写真」(木梨憲武さんよりバトンを受けました)
    https://youtu.be/i9042JoY4vo?t=48




    「あまおうや!」木梨からの“うたつなぎ”でギャグを連発!

     藤井フミヤが19日、自身の公式ツイッターとYouTubeを更新。「オフィシャルYouTubeに #うたつなぎ をアップしました。木梨憲武さんよりバトンを受けました」とコメントし、最新動画を紹介した。

     更新された動画にはギターを持った藤井が「『うたつなぎ』で木梨憲武さんから順番が回ってまいりました」とコメント。ふと後ろを振り向くとそこに苺が置いてある。
    これを見た藤井は「おっ、あまおうや!」とまさかの木梨のミルクボーイ風のギャグで意表を突いた。それだけでは終わらず、なんと木梨の“手打ち食い”まで真似て苺を食べようとするが、あえなく失敗。
    「後で拾って食べます」と苦笑いしながら、もう1個をパクリと口に入れ「ビタミンCを摂りましょう」とコメント。そして「それでは歌います」と荒井由実の「卒業写真」を歌った。

     最後にカメラに向かって「卒業おめでとう。頑張ろう!」と力強く右手を挙げた。

     感動的な歌にファンから、「涙が止まらない」「心に響く歌声でした」「息子、娘が卒業しました。フミヤさんの卒業写真を聞けて嬉しいです」「優しい歌声が心に染みました」といった感想や、
    「ノリさんからあまおうもつながっとる」「いちごを頬張る姿も可愛い」「あまおう食べたくなった」「もう一回やって」といったギャグへのコメントも寄せられた。

    ENCOUNT編集部

    【藤井フミヤが「卒業写真」をカヴァー。 “うたつなぎ”で全国の卒業生に。】の続きを読む

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    1: フォーエバー ★ 2020/02/01(土) 10:44:59.94 ID:I3PWDh7s9
    1980年代中頃、有名人の写真を撮るために熱心に追いかけた彼らはいつしか「カメラ小僧」(カメコ)と呼ばれるようになった。まさに言い得て妙のネーミングだが、一体なぜそう呼ばれるようになったのか。カメコ歴40年のベテランが意外な真実を語る。

    「元々、カメラ小僧という言葉は単にカメラが趣味の若者が増えた際に作られた愛称です。我々は『追っかけ』とか、そんな風に呼ばれていた。でも藤井フミヤがテレビで『カメラ小僧』と呼んだことで、いつの間にかそれが普及したんです」

     その背景には、あるカメコの存在があった。

    「チェッカーズが1983年にデビューした当時からずっと彼らを追いかけていたTという熱心なカメコ男性がいました。彼は人懐っこい人柄も幸いしてかメンバーにも気に入られて、移動中やプライベートショットを公認で撮らせてもらっていた。メンバーから“お前は8人目のチェッカーズだ”と言われるほどでしたが、Tはそんなメンバーを裏切ってしまった」

     追っかけの資金作りのため、写真を他のファンに売ってしまったのだ。

    「ある時、空港の到着ロビーで出待ちをしていたTを見つけたフミヤが“写真、売っただろ!”と怒ったそうなんです。しかも翌日に出演した『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングで、タモリに『弟分みたいに可愛がっていたカメラ小僧に、変な写真を売られちゃったんです』と言ったんですよ。その時の言葉こそ、普及のきっかけだったのです」

     そうして8人目のチェッカーズは“脱退”させられたという。

    2/1(土) 7:00配信
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200201-00000008-pseven-ent
    https://i.imgur.com/fsJkoeo.jpg 
    fsJkoeo

    【藤井フミヤ、“8人目のチェッカーズ”を脱退させた転売事件。】の続きを読む

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    1: 湛然 ★ 2019/05/31(金) 05:14:40.49 ID:V24nepme9
    2019.05.30.
    元チェッカーズ大土井 メガネ店でギター弾き語り
    https://www.daily.co.jp/gossip/2019/05/30/0012379872.shtml

    大土井裕二=パリミキ渋谷店(撮影・棚橋慶太)
    https://i.daily.jp/gossip/2019/05/30/Images/d_12379875.jpg
    d_12379875

    https://i.daily.jp/gossip/2019/05/30/Images/d_12379874.jpg
    d_12379874

    https://i.daily.jp/gossip/2019/05/30/Images/d_12379873.jpg
    d_12379873


     元チェッカーズの大土井裕二(56)が30日、都内の眼鏡ショップ「パリミキ渋谷店」で、デビュー35周年記念商品「Oh!Doi GLASSES」の発売記念ミニライブを行った。

     青のシャツ、デニムのパンツに、眼鏡のラフスタイルで、「踊ってください、よろしく!!」と来客をあおってギター弾き語り。「ベイベー」などのソロ曲に加えて、「昔とちょっとアレンジが変わってますが、楽しんでいただけたら」と、自身が作曲を手掛けたチェッカーズの「あの娘とマッシュポテト」も歌い上げた。

     途中で別の眼鏡に掛け替えて“お色直し”もして、同店とのコラボアイテムを「私の年齢になると近くが見づらくなるので、オリジナルの物がほしいと思って、ロゴも入れてもらいました」とアピールしていた。

    (おわり)

    【元『チェッカーズ』の大土井裕二、メガネ店でギター弾き語り。】の続きを読む

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    1: フォーエバー ★ 2019/05/05(日) 19:58:50.49 ID:eXZl7VX79
    元チェッカーズのサイドボーカルでミュージシャンの鶴久政治(55)が4日深夜放送のテレビ朝日「いまだにファンです!」(土曜深夜1・30)に出演。世間を騒がせたチェッカーズの“不仲・確執騒動”について言及した。

     この騒動が起こったのは2004年。チェッカーズのドラマーだったクロベエ(徳永善也)さん(享年40)の葬儀の際、鶴久と高杢禎彦が、ほかのメンバー4人と離れて座っていたことに始まる。

     鶴久は当時を思い起こしながら「あれはショックでしたね」と告白。「フミヤさんと高杢さんは幼稚園のころからの幼馴染みで仲良くしてた。2人しか分からない何かがあったと思うんですよね」と、複雑な胸中を吐露していた。

     鶴久いわく「僕らの前では何かあったのかは全然分からない」とのこと。高杢派2人と他のメンバー4人が分かれた形になったのは“事務所に残った人間”と“事務所を辞めた人間”に分かれただけ。「しょうがなかったんですよね。記者会見やる時も」と、自身は微妙な立ち位置にいたことを明かしていた。

    5/5(日) 19:37配信 スポニチアネックス
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190505-00000248-spnannex-ent

    【鶴久政治、『チェッカーズ』の“確執騒動”を振り返る。】の続きを読む

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    1: 江戸領内小仏蘭西藩 ★ 2019/03/25(月) 00:20:00.01 ID:q0WKrlcD9
    2019.03.24
    https://smart-flash.jp/entame/65500?sp
    https://data.smart-flash.jp/wp-content/uploads/2019/03/24163319/oota-hikari_1.jpg
    oota-hikari_1

     3月21日放送の『ラジ(コ)フェス』(TBSラジオ)で、爆笑問題の太田光が、デビュー当時の電気グルーヴの意外な姿を目撃したことを明かした。

     太田は「電気グルーヴは俺らの若い頃、ほとんど同じくらいにデビューしたじゃない」と回想。「俺らのテレビ番組が初のテレビ出演だったんだよ」と語り出す。電気グルーヴは、東京に来て初めて会った芸人がデンジャラスで、「すごい興奮した」と言っていたという。

    【関連記事:元SMAP草なぎ剛「爆笑問題」太田光より…】

     電気グルーヴはリハーサルではノリノリで、ギャグを言いまくっていたが、「俺らが司会で、本番になったらシューンとしてるわけ」と大人しくなっていたという。

     太田が「お前らどうした? あんな面白かったのに」って言ったら、彼らは「リハーサル見てたチェッカーズに、楽屋に呼び出されてボコボコにされた」と話したという。

     相方の田中裕二が「いや、ボコボコにはされてない、怒られたぐらい(笑)」とフォローしていた。

     3月16日放送の『爆笑問題の日曜サンデー』(同局)では、太田が、ピエール瀧容疑者の薬物使用による逮捕について持論を語った。

     太宰治、三島由紀夫を例にあげ、「教科書に載るような人は、学校で命の大切さを教えるために、そういう小説も載るんだけど、その人たちは最期どうだったかっていうと、みんな自殺してたりするわけで」と小説家も波乱の生涯を送っていたことを指摘。

    「そういう人の表現がやっぱり心を打ったり、生きる希望を人に与えたり」と作品と作者の人格は別物だと訴えつつ、「ルール違反はルール違反だから」と作品が発売中止になったことなどに理解も示していた。

     瀧容疑者出演の映画『麻雀放浪記2020』は当初の予定通り、4月5日公開となることが発表された。今後も瀧容疑者のような事例が起きた際にどう対応していくかは、慎重な議論が必要なようだ。

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