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    BEATLES

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    1: 湛然 ★ 2022/04/10(日) 06:41:57.38 ID:CAP_USER9
    イエスのアラン・ホワイトがジョン・レノン『Imagine』やジョージ・ハリスン『All Things Must Pass』で演奏したドラムセット 盗まれる
    2022/04/09 19:51掲載 amass
    https://amass.jp/156649/


    イエス(Yes)のドラマー、アラン・ホワイト(Alan White)の自宅や倉庫に泥棒が侵入。彼がジョン・レノン(John Lennon)の『Imagine』やジョージ・ハリスン(George Harrison)の『All Things Must Pass』で演奏した愛用のドラムセットが盗まれています。警察は窃盗団の3人の写真を公開し、情報を求めています。

    米ワシントン州ニューカッスルの警察によると、数週間前、窃盗団がアランの自宅に侵入しました。窃盗団は家からいくつかを盗み、また、彼らは個人的な書類を調べ、ホワイトの倉庫の情報も見つけたと警察は述べています。

    警察によると、窃盗団は2つの倉庫に侵入し、貴重なロックンロールのアイテムを盗みました。警察は盗まれたいくつかを回収することができましたが、最も重要なアイテムはまだ行方不明です。

    それは、ジョン・レノンの『Imagine』やジョージ・ハリスンの『All Things Must Pass』のセッションでも使用した、彼の愛用する貴重なシルバーのラディック・ドラムセットでした。

    「この35?40年間、大切にしてきたものだ」とアランは言っています。

    このドラムセットは、故テイラー・ホーキンスがチャリティーイベントで演奏するなど、世界の大物ロッカーたちも演奏したこともあるものです。

    (※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)


    YESofficial
    @yesofficial
    https://twitter.com/yesofficial/status/1512525360226881536
    https://pbs.twimg.com/media/FP2QBIeX0AolYq2.jpg
    FP2QBIeX0AolYq2

    https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)

    【『イエス』のアラン・ホワイト、ジョン・レノンの”Imagine”で演奏したドラムセットが盗まれる。】の続きを読む

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    1: 湛然 ★ 2022/02/16(水) 23:03:13.76 ID:CAP_USER9
    ビートルズ「Hey Jude」の手書きの歌詞が書かれたノートを初展示 2月22日からリヴァプールで
    2022/02/16 13:07掲載(Last Update:2022/02/16 14:28) amass
    https://amass.jp/155280/


    英BBCによると、ビートルズ(The Beatles)の名曲「Hey Jude」の手書きの歌詞が書かれたノートが、初めて展示されることになりました。

    1967年から1968年にかけて作成されたこのノートには、ポール・マッカートニーが書いた「Hey Jude」の下書きに加え、「Sgt Peppers Lonely Hearts Club Band」の歌詞の一部、 「All You Need Is Love」のレコーディング・メモ、「Being for the Benefit of Mr. Kite!」、「Good Morning Good Morning」、「All Together Now」などの歌詞も含まれています。またアートワークや落書きなども掲載されています。

    このノートは、ビートルズのツアーマネージャーだったマル・エヴァンスが所有していたもので、リヴァプールの実業家がオークションで購入しています。

    (※中略)

    このノートは、2月22日からリヴァプールのビートルズ・ストーリーで展示されます。

    BBC
    https://www.bbc.com/news/uk-england-merseyside-60376363
    https://ichef.bbci.co.uk/news/976/cpsprodpb/FEA0/production/_123248156_tbsnotebook2.jpg
    _123248156_tbsnotebook2

    (おわり)

    【『ビートルズ』、”Hey Jude”の手書きの歌詞が書かれたノートを初展示。2月22日からリヴァプールで。】の続きを読む

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    1: 首都圏の虎 ★ 2021/10/11(月) 17:35:11.81 ID:CAP_USER9
    ポール・マッカトニーは、今月末に放送されるBBCのインタビューの中で、ビートルズの解散を引き起こしたのはジョン・レノンだと語っている。史上最も人気のある音楽グループの一つであるビートルズの解散については、どのメンバーに責任があるのかという議論が、何十年もの間続いていた。

    BBCラジオの番組「This Cultural Life」の最新エピソードの内容を報じたガーディアンの10月10日の記事によると、マッカートニーは、1970年にビートルズが解散した際に、レノン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの3人とともにバンドを続けることを望んでいたという。

    来年の6月に80歳の誕生日を迎えるマッカートニーは、レノンの脱退の決定が最終的にビートルズの終焉につながったと述べ、レノンは「ヨーコと新しい人生を歩んでいた」「常に脱退を考えていた」と語り、長年にわたり囁かれてきた噂が真実であることを認めた。

    マッカートニーによると、レノンはバンドを離れることを「スリリング」で「離婚に似ている」と表現し、残りのメンバーは「後始末をする」ことになったという。

    ビートルズの解散は、「私の人生の中で最も困難な時期」だったと語るマッカートニーは、一部のファンから、メンバーの意見の相違に弁護士を介入させて4人の関係を悪化させたと非難され、バンドの崩壊の責任を負わされることに苦悩していたと語っている。

    マッカートニーが、バンドのマネージャーであるアレン・クラインがグループの財務を管理することを阻止するために、他のメンバーを訴えたことは有名だが、その時にはすでにレノンは他のメンバーに脱退を告げていたとマッカートニーは語っている。

    このインタビューの全編は、10月23日にBBC Radio 4でオンエアされる。

    ガーディアンによると、マッカートニーは番組のインタビュアーのジョン・ウィルソンからソロ活動について聞かれた際にこう話したという。「私はバンドの解散を扇動したりしていない。それは全くの誤解だ。ジョンはある日、部屋に入ってきて『ビートルズを辞める』と言った」

    ■オノ・ヨーコの責任を否定

    多くのビートルズファンは何十年もの間、レノンの妻であるヨーコ・オノが、レノンにバンドを辞めるよう説得し、彼とマッカートニーの間に溝を作ったと非難してきた。しかし、マッカートニーは今回のインタビューで彼女に責任はないと述べ、2人は素晴らしいカップルであり、「そこには大きな力があった」と語っている。「ジョンは平和のためにアムステルダムでバッグに入って1週間ベッドに横たわりたかった。それに異議を唱えることはできないだろう」とマッカートニーは語っている

    https://news.yahoo.co.jp/articles/6b469d01961ed15904ff7953e60f430996540407

    ★1 2021/10/11(月) 12:06:01.11
    前スレ
    http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1633921561/

    【『ビートルズ』解散の責任はジョン・レノンにある、ポールが告白。】の続きを読む

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    1: 湛然 ★ 2021/09/21(火) 22:41:32.14 ID:CAP_USER9
    エルヴィス・プレスリー、ニクソン元大統領の意向でジョン・レノンを監視していた逸話が明らかに
    2021.9.21 火曜日 NME Japan
    https://nme-jp.com/news/107309/


    エルヴィス・プレスリーは当時の大統領だったリチャード・ニクソンからジョン・レノンを監視するよう命じられていたとラジオ司会者でDJのボブ・ハリスが語っている。

    ポッドキャスト『ロカンターズ』の新たなインタヴューでボブ・ハリスはリチャード・ニクソンがベトナム戦争を公然と辛辣に批判していたジョン・レノンをひどく嫌っていたと語っている

    ボブ・ハリスはリチャード・ニクソンにとって「いい友人」だったエルヴィス・プレスリーがジョン・レノンを監視するためにあてがわれ、ジョン・レノンがもしリチャード・ニクソンの在任期間にアメリカを出国していたら入国できなかっただろうと語っている。

    「ジョン・レノンが『電話を盗聴されているんだ。どこでも追われているんだよ』と言う時、想像の産物かのように聞こえましたが、あれは本当だったのです。彼は監視されていました」

    「ニクソンは彼をどうにかしてやろうと思っていました。ジョンがニューヨークないしはアメリカに留まっていたのはだからです。彼はUKに戻ったら、もうアメリカに戻ってこれなかったのです。ニクソンがホワイト・ハウスにいる間は無理でした」

    ボブ・ハリスは次のように続けている。「ニクソンはエルヴィス・プレスリーのいい友人で、エルヴィスにとってもそうでした。ニクソンはできる限りジョン・レノンに関する情報をエルヴィスに集めさせたのです」

    リチャード・ニクソンはジョン・レノンを「カウンターカルチャーの敵」と見なし、在任期間の1969年から1974年においてジョン・レノンを国外退去させようとしていた。

    ボブ・ハリスは1960年代中盤にジョン・レノンとエルヴィス・プレスリーが初めて会った時に「軋轢が生まれた」として、「激しい」ライバル関係が生まれることになったと述べている。

    「ジョンにとってそれは幻滅した瞬間でした。というのもエルヴィスのレコードが大好きだったからです。エルヴィスが南部の右傾派の偏屈者であることを知ったのは大きなショックでした」

    「同様にエルヴィスもジョン・レノンのことを自分の冠を継いだ成り上がりの知ったかぶりのリヴァプール人と見ていました。彼はエルヴィスの座を奪ったことで、それをエルヴィスは怒っていました」

    (※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

    【『エルヴィス・プレスリー』、ニクソン元大統領の意向でジョン・レノンを監視していた逸話。】の続きを読む

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    1: 湛然 ★ 2021/05/03(月) 05:37:12.61 ID:CAP_USER9
    リンゴ・スターのお気に入りのビートルズ楽曲は「Come Together」 米TV番組で語る
    2021/05/02 18:42掲載amass
    https://amass.jp/146722/


    リンゴ・スター(Ringo Starr)のお気に入りのビートルズ(The Beatles)楽曲は「Come Together」。米TV番組の企画の中で自ら答えています。

    リンゴは米国のトーク番組『The Late Show with Stephen Colbert』にリモート出演し、お気に入りのサンドイッチから死後の世界についての自身の見解まで、さまざまな質問に答えています。

    お気に入りのビートルズ楽曲について尋ねられたリンゴは「Come Together」と躊躇することなく答えています。「他にも好きな曲はたくさんあるけど、1曲なら“Come Together”は悪くない」「バンドと曲、そしてジョンがジョンであることが完璧に機能していたと思う。あの瞬間が大好きなんだ」。

    リンゴはまた、死後の世界について独自の見解を述べています。「死んだらどうなるのか」という質問に「天国に行くと思う」と答えています。「天国は素晴らしいところだけど、あまり長くはいられない。もう一度自分自身を取り戻して、前回ここにいたときに対処できなかったことに対処するんだ」。

    リンゴはまた「自身の残りの人生を5つの言葉で簡潔にまとめて」という質問に「It's gonna be great(素晴らしいものになるだろ)」と答えています

    Ringo Starr Takes The Colbert Questionert
    https://www.youtube.com/watch?v=JZKZY2pyt4c


    (おわり)


    Come Together (Remastered 2009)
    https://www.youtube.com/watch?v=oolpPmuK2I8

    【リンゴ・スターのお気に入りの『ビートルズ』楽曲は”Come Together”】の続きを読む

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    1: 湛然 ★ 2021/03/19(金) 22:58:00.56 ID:CAP_USER9
    リンゴ・スター、自身の思うキャリアで最高のドラムについて語る
    2021.3.19 金曜日 NME Japan
    https://nme-jp.com/news/99972/


    リンゴ・スターはキャリアで最高のドラムについて語っている。

    ツアー・バンドの歴史を追った新刊『リンゴ・ロックス:30イヤーズ・オブ・オール・スターズ』のプロモーションでインタヴューを受けたリンゴ・スターは“Rain”と“Paperback Writer”が最高のドラムだったと考えていることを明かしている。

    ヤフー!・エンタテインメントに最高のドラムを訊かれたリンゴ・スターは次のように語っている。「“Rain”とよく言ってきたんだ。というのも、“Rain”は別のキャラクターがドラムを演奏しているように感じるんだよね」

    「僕はブレイクやタムをたくさん入れるように叩くんだけど、“Rain”は全部スネアなんだよね。だから、そう言ってきたんだ。あれは人々を熱狂させてきたからね」とリンゴ・スターは『リヴォルヴァー』期の“Paperback Writer”のBサイド曲について語っている。

    彼は次のように続けている。「“Let It Be”も悪くないね。“Paperback Writer”もロックしているよ。クレイジーだったのは“Let It Be”のリマスターが発売された時に新しいサウンド・システムのアトモスがあったから、そのためにイングランドに行ったんだ」

    「ポール・マッカートニーと僕は人々と一緒に聴いていたんだけど、『この曲の僕はせわしないな』と言ったんだ。それが頭に浮かんだことだったね」

    リンゴ・スターはそれ以上の曲を挙げることなく、1989年に結成したオール・スター・バンドについては「ザ・ビートルズでやっていた時よりも抑制されている」と語っている。「というのも、歌っている時はドラム・ソロをやらなくていいからね。それが僕の叩き方なんだ。ドラム・ソロをやったことなんてないからね」

    (※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)


    ●The Beatles - Rain
    https://www.youtube.com/watch?v=cK5G8fPmWeA


    ●The Beatles - Paperback Writer
    https://www.youtube.com/watch?v=yYvkICbTZIQ

    【リンゴ・スター、自身の思うキャリアで最高のドラムについて語る。】の続きを読む

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    1: 湛然 ★ 2020/12/20(日) 05:33:43.41 ID:CAP_USER9
    ポール・マッカートニー、これまで会った人たちの中で最もクールな2人は──
    2020.12.18 23:14 BARKS
    https://www.barks.jp/news/?id=1000194067
    https://img.barks.jp/image/review/1000194067/001.jpg
    001

    ●Paul McCartney - Find My Way
    https://www.youtube.com/watch?v=2oSmP3GtOBk



    ポール・マッカートニーが『The Adam Buxton Podcast』のインタビューで、これまで出会った人たちの中でクールだと思った人物の名を挙げた。

    ボブ・ディラン、デヴィッド・ボウイらにも感銘を受けたが、最もクールだと思うのは「僕の妻」だそう。「彼女は本当にクールなんだ」「もし(1人を)選ばなくてはならないとしたら、妻のナンシーにする。そして2番目を挙げる必要があれば、エルヴィス(・プレスリー)にしないとって思う」と答えた。

    エルヴィスについては、「彼は凄くクールだったよ。(彼に会ったのは)ラスヴェガスやラインストーン付きのスーツ着る前のことだったからね」と断りを入れた。さらに、ザ・ビートルズがツアーを止めようと考えていたときにエルヴィスにインスピレーションを得たとも話している。「エルヴィスが、金メッキのキャデラックをツアーに出したって聞いたんだ。彼自身は同行しないで、それだけを送り出したんだ。そして、エルヴィスのキャデラックに多くの人たちが群がった。次の街に行っても同じだ。それで僕ら、 “そいつは素晴らしい! エルヴィスしか考えられないことだ”と思って、“じゃあ、僕らがすべきなのは、とびきりのアルバムを作ることだ。僕らの代わりにツアーをしてくれるような”って言ったんだ。それが、『Sgt. Pepper』だ」

    また、ポールは最近、別のインタビュー(SiriusXMの『The Howard Stern Show』)で、彼が思う史上最高のドラマーとして、1位にリンゴ・スター、2位にレッド・ツェッペリンのジョン・ボーナム、3位にザ・フーのキース・ムーンを挙げている。

    (※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

    Ako Suzuki
    (C) Mary McCartney

    【ポール・マッカートニーがこれまで会った人たちの中で”最もクールな2人”は。】の続きを読む

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    1: 爆笑ゴリラ ★ 2020/11/12(木) 12:51:14.24 ID:CAP_USER9
    11/12(木) 11:03
    デイリースポーツ

    オノ・ヨーコ 事業の大半を息子・ショーンに承継 近年は車いす生活
    オノ・ヨーコ(左)と息子のショーン・レノン
     オノ・ヨーコ(87)が、事業の大半を息子ショーン・レノン(45)に承継したという。オノは自身やザ・ビートルズに関する計8つの会社経営者としての立場を退き、ショーンに引き継がせることにしたようだ。

     このことにより、ショーンは亡き父・ジョンのソロ曲一部の著作権を有するレンソロ社などで重役に就任すると、デイリー・ミラー紙は伝えている。

     1969年にジョンと結婚したオノは近年、公の場に姿を見せることが少なくなっており、車いす生活を送っていると言われている。

     一方でショーンは、ドキュメンタリー作「ジョン・レノン・アット・80」でポール・マッカートニーにインタビューしていたところだ。

     そこでポールはジョンとの出会いを振り返り、「いちファンとして今思うと、僕同様に音楽をやっていたあのちょっと変わった男に出会えたことはいかに幸運なことだったか。僕らはお互いを引き立たせることができたんだから」と語っていた。(BANG Media International/デイリースポーツ)

    https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20201112-00000044-dal-000-3-view.jpg?w=640&h=640&q=90&exp=10800&pri=l

    https://news.yahoo.co.jp/articles/60b8067a1b655297b176838b1611aa0ea35f8e01

    【オノ・ヨーコ、事業の大半を息子のショーンに承継。近年は車いす生活。】の続きを読む

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    1: 少考さん ★ 2020/10/03(土) 12:10:19.03 ID:CAP_USER9
    イエス、ジョン・レノンの80回目の誕生日を祝い「イマジン」のカバーをリリース | BARKS
    https://www.barks.jp/news/?id=1000190106

    2020.10.3 11:01

    https://img.barks.jp/image/review/1000190106/001.jpg
    001

    イエスが、ジョン・レノンの80回目の誕生日(10月9日)を記念し、「Imagine」のカバー・ソングをリリースした。

    これは、2019年に北米で開催した<The Royal Affair>ツアーでのパフォーマンスを録音したもので、今月末発表するライブ・アルバム『The Royal Affair Tour Live From Las Vegas』に収録されている。

    バンドのTwitterでは、「ジョン・レノンの誕生日を祝い、イエスがThe Royal Affair Tour 2019より“Imagine”をリリースする。オリジナルのレコーディングでプラスティック・オノ・バンドのドラマーだったアラン・ホワイトをフィーチャーし、ムーディ・ブルースのジョン・ロッジがゲスト・ヴォーカルに参加」と告知している。

    YES - Imagine from The Royal Affair Tour: Live from Las Vegas
    https://youtu.be/aI7QcewVSs4



    イエスは<The Royal Affair>ツアーでアンコールに「Imagine」をパフォーマンスしていた。そのとき、バック・スクリーンにはジョン・レノンがジョージ・ハリスン、クラウス・フォアマン、アラン・ホワイトとスタジオに入る映像が流されたという。

    イエスの新ライブ・アルバム『The Royal Affair Tour Live From Las Vegas』は10月30日にリリースされる。

    Ako Suzuki

    (略)

    ※省略していますので全文はソース元を参照して下さい。

    ※公式tweet
    https://twitter.com/yesofficial/status/1312014515287056387

    ※関連スレ
    【音楽】ジョン・レノン生誕80年の10月9日に究極ベスト盤発売 息子ショーンがプロデュース [湛然★]
    https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1598448066/
    https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)

    【『イエス』、ジョン・レノンの80回目の誕生日を祝い「イマジン」のカバーをリリース。】の続きを読む

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    1: 首都圏の虎 ★ 2020/09/05(土) 12:57:15.11 ID:CAP_USER9
    2020年7月7日、リンゴ・スターは80歳の誕生日を迎えた。誕生日には毎年バースデーイベントを開催しているスターだが、今年はパンデミックやBLMを受け、例年とは違うイベントを企画したという。

    ドラマーになろうと思ったきっかけ、十代で破れたアメリカン・ドリーム、家族のこと、そしてビートルズへの想いを、英紙「フィナンシャル・タイムズ」に語った貴重なインタビューをお届けする。

    ※元記事は2020年7月5日に公開されたものです。

    2008年のあるインタビューで、リンゴ・スターは次の誕生日に何を望むか訊ねられた。

    「そのとき何を思ったのか、僕はこう言ったんだ。『正午にみんなで一斉に「ピース・アンド・ラブ」と言ってほしいね』と。それで一週間後の誕生日に、僕たちはそれを計画した。小さなケーキも準備してくれて、100人くらいの集まりで、正午にピース・アンド・ラブの瞬間を迎えた。僕のカウントダウンで……3、2、1………『ピース・アンド・ラブ』とね」
    このお祝いの習わしはシカゴで始まった。以来、フランスのニースや、ビートルズがかつて頻繁に訪れたハンブルクなどでもおこなわれている。今では27ヵ国に広まり、各地で人々がスターの誕生日に「ピース・アンド・ラブ」の瞬間を迎える。

    「今はロサンゼルスにいるんだけど、ここにいるときはハリウッドのキャピトル・レコード・ビルに大きなステージをこしらえて、バンド演奏をするんだ。そこに友達が現れては観客の前でプレイして、みんなで盛大にブランチするんだよ」

    今でも誇りに思うビートルズの姿勢
    もちろん、今年は例年通りにはいかなかい。7月6日に80歳の誕生日を迎えるスターは、オンラインのお祝いイベントを計画している。このイベントはブラック・ライヴズ・マター(BLM)や慈善団体のデイビッド・リンチ財団、困窮するミュージシャンに財政支援や医療ケアを提供する慈善基金「ミュージケアズ」、そしてその他の団体への寄付を集めを目的としている。

    開催予定の「リンゴのビッグ・バースデー・ショー」では、ビートルズの仲間ポール・マッカートニー、自身のバンド「オール・スター・バンド」のギタリストであるジョー・ウォルシュをはじめ、ゲイリー・クラーク・ジュニア、シェリル・クロウ、シーラ・E、そしてベン・ハーパーらが自宅からパフォーマンスをするとともに、初公開のコンサート映像も放送する予定だ。
    「LAで開催する予定だったが状況が変わった。世界のどこにいようと、ウイルスが蔓延しているのはどこも同じだよね。だから友人たちに自宅で演奏するか、過去のショーの映像を送ってくれるよう頼んだ。僕自身は去年のリンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド・ツアーの映像を提供するとともに、司会を担当するよ」

    スターはBLMのデモに強い関心を示し、「正義とより良き世界を求めて行進し、声を上げるすべての人に対して、変わらぬ支持」を表明している。

    1960年代のビートルズの姿勢を、彼は今でも誇りに思っている。「僕たちはミシシッピでの演奏を拒んだ。人種隔離政策には反対だったんだ……だからどこに行ってもこう表明した。『僕らはすべての人のために演奏します。人というのは、人間のことです』。すると『そうですか』という反応だったよ。アメリカの南部で演奏を断ったのは僕らにとって初めてだったし、それは彼らにとってもそうだった」

    全文はソース元で
    https://news.yahoo.co.jp/articles/d0fe247a93d603fd11e94500394fb10e278fa138?page=1
    https://amd.c.yimg.jp/amd/20200905-00000002-courrier-000-1-view.jpg 
    20200905-00000002-courrier-000-1-view

    【『ビートルズ』のリンゴ・スター「僕は世界最高のバンドのメンバーで、3人の“兄弟”を授かったんだ。」】の続きを読む

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    1: muffin ★ 2020/08/24(月) 18:17:03.58 ID:CAP_USER9
    https://www.barks.jp/news/?id=1000187808
    2020.8.24

    リアム・ギャラガーが、英国の新聞『Sunday Mirror』のインタビューで、1999年にニューヨークにあるヨーコ・オノの家を訪問したときのエピソードを語った。ヨーコは、リアムが息子をレノンと名付けたことを懸念していたという。

    「ヨーコから“息子をレノンと名付けたって聞いたわ”って言われた。“ああ”って答えたら、“どうして? それってちょっと馬鹿げた名前だと思わない?”って言ってた。俺は“いや、ヨーコって呼ばれるほうがちょっと馬鹿げてる、だろ? だからレノンだ”って返したんだ」

    「彼女は、“学校でいじめられるんじゃないかしら?”って言うんだ。俺は、“いやあ、彼はこの名前で騒がれる”って言っといたよ」

    最初の妻、女優/シンガーのパッツィ・ケンジットとの間に誕生したレノンは、来月21歳。モデルとして活動している。リアムは、2人目の妻ニコール・アップルトンとの間に生まれた次男はジーンと名付けた。

    リアムはまた、ヨーコ・オノがオアシスの公演でつけるよう、リアムとノエルに花をくれたが、ノエルはつけるのを拒んだとの逸話も明かしている。「彼女のお気に入りで、“ジョンがエルトンとの公演でつけてた”って言ってた。俺とノエルの分があった。で、ノエルに“ほら、ヨーコからだ”って言ったんだ。あいつは、“俺は花なんかつけねえ”ってさ」

    ジョン・レノンは1974年11月28日にマディソン・スクエア・ガーデンで行われたエルトンの公演にゲスト出演。ジョンはその楽屋で当時別居中だったヨーコと再会し、2人は復縁した。

    https://img.barks.jp/image/review/1000184070/001.jpg 
    001

    【リアム・ギャラガー、ヨーコ・オノから息子をレノンと名付けるのは良くないと言われる。「馬鹿げた名前だと思わない?」】の続きを読む

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    1: 湛然 ★ 2020/08/05(水) 22:54:40.67 ID:CAP_USER9
    8/5(水) 19:35 rockinon.com
    ポール・マッカートニー、ザ・ビートルズを訴えたのはバンドを救うためだったと語る
    https://news.yahoo.co.jp/articles/f20f9fc1aa47ee81358d6246ed24259d71a88e7b


    ポール・マッカートニーが、ザ・ビートルズを訴えたのはバンドを救うためだったと明かし、訴訟を起こした当時のことを振り返った。

    「GQ」のインタビューを報じた「FAR OUT」によると、 “5人目のビートルズ”と呼ばれたバンドのマネージャー、ブライアン・エプスタインの死後、レコード会社EMIとアラン・クラインがザ・ビートルズに関するビジネスを引き継いだという。

    そして、クラインからバンドを守るために、ポールはザ・ビートルズを訴えざるを得なかったと明かしている。

    「そうしなくちゃならなかったんだ。きっとみんな僕のことをザ・ビートルズを解散させた、メンバーを訴えた卑劣な奴だと思ってるんじゃないかな。自分としては、ザ・ビートルズとアップルを守って、ピーター・ジャクソンによる『Get Back(原題)』を公開し、『アンソロジー』やザ・ビートルズの素晴らしいレコードのリマスターなんかをリリースするためにできる唯一の方法がバンドを訴えることだった」

    続けてポールは、もし自分が訴訟を起こしていなかったら、ザ・ビートルズは著作権を失っていた可能性があったとも語っている。

    「僕がそうしていなければ、すべてをアラン・クラインが所有することになっていただろう。それを避けるために与えられた唯一の方法が、僕がしたことだった。“アラン・クラインを訴えるつもりだ”と言うと、彼は関係者ではないから無理だと伝えられて、ザ・ビートルズを訴えなければいけないと言われたんだよ」

    苦楽を共にしたバンドを訴えることはポールにとって非常に辛い選択だったようで、その当時にポールは酒を飲みすぎて、かなり荒れていたという。

    この訴訟で起きた論争により、ザ・ビートルズのメンバーがお互いを憎み合って解散したとの大きな誤解を生んでしまったとも述べていたポール。

    (以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

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