メタルは負けず嫌い

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    カテゴリ:アイドル > クラシックアイドル

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    1: フォーエバー ★ 2020/07/04(土) 09:25:46.18 ID:tmibum3W9
    80年代にアイドルとしてデビューし、一世を風靡した女優たちが、経験と実績を積み上げながら年齢を重ね、役の幅を広げつつ、女優としての円熟期を迎えている。NHK連続テレビ小説には、『エール』の菊池桃子や薬師丸ひろ子をはじめ、『半分、青い。』の原田知世、遡れば2010年代前半でも『あまちゃん』の小泉今日子、『おひさま』の斉藤由貴などが出演。それぞれ朝ドラでの好演を契機に活躍の場を広げている。

    ◆それぞれの母親役を巧みに演じた2人、涙なしには観られない好演で視聴者を魅了

     過去作を振り返ると、数多くの作品で80年代デビューの元アイドルが女優として活躍している姿が見られる朝ドラだが、現在放送中の『エール』では、主人公・古山裕一(窪田正孝)の母・まさを菊池桃子、ヒロイン・関内音(二階堂ふみ)の母・光子を薬師丸ひろ子と、かつて旋風を巻き起こしたアイドル2人がベテラン女優として顔を揃え、存在感のある演技で視聴者を魅了した。

     劇中では、家族より自分の夢を優先し、作曲家を志して家を出る息子・古山裕一への母親としての相反する感情を、優しさのにじみでる演技で表現した菊池桃子。愛娘・関内音と古山裕一の許されざる結婚を、涙ながらに応援して力強く送り出し、視聴者の心を揺さぶった薬師丸ひろ子。それぞれの想いを抱える母親役を情感豊かに演じた2人の存在感と、涙なしには観られない好演は、SNSでも「薬師丸ひろ子さんも菊池桃子さんもいい女優さんになったなぁ」「薬師丸ひろ子さんの演技で初めて『エール』で泣いた」と絶賛された。

     近年の朝ドラを振り返ると、『エール』のほかにも、『半分、青い。』(2018年前期)と『おひさま』(2011年前期)の原田知世、『スカーレット』(2019年後期)の富田靖子、『あまちゃん』(2013年前期)の小泉今日子(薬師丸ひろ子も出演)、『おひさま』(2011年前期)の斉藤由貴など、80年代にアイドルとしてデビューした女優たちの好演が印象に残っている。その役柄は、ヒロインの母親役や、ヒロインを支える重要な位置にキャスティングされることが多い。そして、確固たる実力のある彼女たちの多くは、朝ドラでの要役出演をきっかけに女優業の活躍の幅を広げている。

    7/4(土) 8:40配信
    https://news.yahoo.co.jp/articles/e62f5dbd70d29f485a5cc798486930dae3add8b0?page=1
    https://i.imgur.com/Ha6oRjN.jpg 
    Ha6oRjN

    【薬師丸ひろ子や菊池桃子・・・朝ドラ契機に再び輝く80年代アイドル、需要高まる年配女性役とは。】の続きを読む

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    1: ひぃぃ ★ 2020/06/21(日) 21:00:00.14 ID:o02sDv7x9
    小泉今日子(54)が21日午後8時、ラジオをテーマにした1人語りのTBSラジオ「あなたとラジオと音楽と」に生出演し、デビュー同期の中森明菜(54)について「同志。頑張っているとうれしい」と話した。

    小泉は、中森のデビュー曲「スローモーション」(82年)を選曲、「中森明菜さんは同期で、出身番組も年齢も一緒。同志といいますか、頑張っているとうれしい。うん、同志です。この曲も大好きで、たまにカラオケも歌います」と話した。曲が終わっても「これがデビュー曲ってすごい!」と興奮していた。

    2020年6月21日20時38分 日刊スポーツ
    https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202006210001039.html

    画像
    https://www.nikkansports.com/entertainment/news/img/202006210001039-w500_0.jpg 
    202006210001039-w500_0

    【小泉今日子、ラジオで中森明菜に興奮。「同志です。」】の続きを読む

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    1: ひかり ★ 2020/06/19(金) 15:06:14.85 ID:FZgSU34b9
    「賭け」に出る。それは大いなるベネフィットを得る可能性があると同時に、全てを失うリスクも抱える。果たして、彼女は賭けに成功したのか否か。元アイドルにして女優の小泉今日子(54)が「新境地」に挑んだ。
    役柄としてではなく、「素」の人間として――。
    「ヤマトナデシコ七変化」

    「なんてったってアイドル」

    「あなたに会えてよかった」

    「可憐」に歌っていたキョンキョンが、まさかこうも「勇猛果敢」に変身するとは誰が想像しただろうか。

    「#検察庁法改正案に抗議します」

     小泉今日子の七変化……。

    「黒川検事長問題」は賭け麻雀発覚で辞職という結末を迎えたが、彼を追い込むにあたり「リーチ」をかけたのは、小泉をはじめとする芸能人の抗議活動だった。

    「小泉さんがツイッター上での抗議活動に参加したことで、彼女クラスの大物が声をあげたのなら私もとなり、他の芸能人にも波及していきました」(芸能記者)

     また、彼女が動いたことによる余波は芸能界に留まらず、「芸能人だって政治的発言をしてもいいじゃないか!」というムーブメントを世の中に生み出しもした。

     そして怯(ひる)むことのない小泉は、新たな「タブー」に挑戦。日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」5月31日付の1面に登場したのだ。そこで劇作家の渡辺えりと対談した彼女は、

    「日本の国は、日頃から文化に温かくないなと感じます。韓国なんて、国が映画を支援して、完全に日本を追い越しちゃったでしょう。日本だって、やる気になればできるはずです」

     と、「政府批判」。これを共産党が「利用」しない手はなく、

    「ある地方議員は、これを機に赤旗を読んでほしいと宣伝していました」(共産党ウォッチャー)

     政治ジャーナリストの山村明義氏は、

    「芸能人が政治的な発言をすること自体は問題ありません。当然のことですが、誰がどんなことを言おうと、日本では言論の自由が保障されているわけですから」

     としつつ、こう釘をさす。

    「一方、影響力のある芸能人を、政治の側が利用しようとするのも当然の戦略です。小泉さんのように反政府的なことを言えば、野党はそれを上手く使おうとする。政治的な発言をするのであれば、その覚悟を持った上で
    行うことが必要だと思います」

     近年の小泉は俳優の豊原功補との不倫を公言し、大手プロダクションのバーニングとも袂(たもと)を分かつなど、「覚悟」を決めたようにも映る。最近は専らプロデューサー業に力を入れているが、必ずしも
    順風満帆ではないという。なんてったって元アイドル、スポットライトが恋しくないはずがない。畢竟(ひっきょう)、彼女の覚悟の先には次のような道が……。

     芸能リポーターの城下尊之氏がこう見立てる。

    「小泉さんが政治的な発言をするのは『新しいキョンキョン像』を模索しているからだと思います。赤旗への登場はまさに彼女の新しい一面。これをきっかけに、参院選に出馬してほしいと持ち掛けてくる政党も出てくるでしょうね」

     赤旗に会えてよかった? 

    「週刊新潮」2020年6月18日号 掲載

    https://news.yahoo.co.jp/articles/2c55eb12f77abbff29390293a819c587e5e17cd4
    https://www.dailyshincho.com/wp-content/uploads/2020/06/2006111541_1.jpg

    ※前スレ
    https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1592532911/

    【『小泉今日子』が赤旗1面に登場。今後は政治利用が加速の懸念も。】の続きを読む

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    1: フォーエバー ★ 2020/06/12(金) 17:30:31.84 ID:cKWIWZc/9
    17年1月、買い物に出かけた百恵さん。
    今、SNSでは興奮した若者たちのメッセージが次々とつづられている。

    《百恵ちゃんの曲が好きすぎてダウンロードしまくってる 世代というわけじゃないけど大好き!!!》
    《山口百恵がトレンド入りしてたからサブスクで聞いてみたけど、結構歌える曲があってビビる…音楽の教科書に載ってた曲もあったよね。私20歳なのに、、笑 やっぱすごいや》

    5月29日、百恵さん(61)がこれまでに発表した600曲以上にのぼる楽曲のサブスクリプション配信が“解禁”された。若い世代から大きな反響を呼んでいる――。

    「サブスクリプション配信とは、定額制の音楽聴き放題サービスのこと。日本では10社以上の配信元があります。それぞれ配信曲数や内容は異なりますが、月額千円前後を支払うことで、数千万曲以上の世界中の楽曲がスマートフォンやパソコンでいつでも聴けます。若者の間で“サブスク”と呼ばれ、大人気のサービスです。

    今回の解禁で『秋桜』『イミテイション・ゴールド』といった全シングルからライブアルバムまで配信されました」(レコード会社関係者)

    なぜ、このタイミングで配信を開始したのか。その狙いについて音楽評論家の富澤一誠氏はこう推測する。

    「百恵さんサイドはこれまで、機をうかがいながら全集や映像作品を発表することで、“山口百恵の希少価値”を高め、往年のファンを大切にしてきました。サブスク全盛期の今、解禁することで若者たちにも販路を開き、マーケット的にも取り込みたいということでしょう」

    その狙いどおり、当時、熱狂した世代だけでなく、若者たちも殺到しているというのだ。

    「配信元の1つで、多くの若者が利用するSpotifyでは、百恵さんの人気曲ランキング1位が『プレイバック part2』、2位が『さよならの向う側』、3 位が『いい日 旅立ち』でした。

    すべての配信元の再生回数を合わせると解禁されてから3日間で100万回以上再生されたと聞いています。百恵さん世代の歌手では異例の数字です」(音楽ジャーナリスト)

    夫・宇崎竜童(74)とのタッグで数々の名曲を百恵さんに提供した作詞家・阿木燿子(75)も喜んでいるという。阿木をよく知る音楽関係者は言う。

    「百恵さんの時代から比べてCDの売り上げはかなり下がっています。しかし、こうした形で若い世代が百恵さんの楽曲に触れ、阿木さんも『本当にありがたいです』と言っていたそうです」

    サブスクが巻き起こす“令和の再ブーム”の要因について前出の富澤氏はこう分析する。

    「CDやレコードでは聴かないけど、“サブスクで昔の曲を聴いてみよう”という若者が増えています。百恵さんの楽曲を家や車で聴いていた親も多く、“ちゃんと聴いてみたらよかった!”という若者が続出していると思います」

    さらに、現在の人気楽曲との親和性も。

    「百恵さんは『横須賀ストーリー』や『プレイバック~』といった楽曲によって“歌謡ロック”を生み出しました。その流れが’80年代に入りアン・ルイスや中森明菜へ続き、さらには若者の間で支持を集める“Jロック”の基にもなっているといえるでしょう」(富澤氏)

    楽曲が破竹の勢いで再生回数を増やしていくだけに百恵さんへの“印税”も期待できそうだが……。

    「サブスク配信は1再生あたりレコード会社に1~2円ほど入ります。そこから作曲家などに分配されるのですが、歌唱のみの百恵さんに入るのは全体の約1%。3日間で100万回再生されたそうですが、百恵さんには1万円ほどしか入らないでしょう……」(前出・音楽ジャーナリスト)

    引退後、芸能界復帰を固辞し、沈黙を貫いてきた百恵さん。今回の解禁には、本人もかかわっているのだろうか?

    「契約的にはレコード会社とアーティストの所属事務所が了承すれば、本人の承諾がなくてもサブスク配信は開始できます。しかし、本気で嫌がっていればこう大々的に解禁されないはずでしょうから、本人も了承していると思います」(富澤氏)

    名実ともに昭和・平成・令和と“世代を超えたスター”となった百恵さん。今年の『紅白歌合戦』での劇的復活の声も上がりそう!?

    2020/06/12 11:00
    https://news.nicovideo.jp/watch/nw7428738?news_ref=50_50

    https://i.imgur.com/XBlt3py.jpg 
    XBlt3py


    【山口百恵さんサブスク解禁も、収入は100万回再生で1万円。】の続きを読む

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    1: 砂漠のマスカレード ★ 2020/06/08(月) 18:55:11.07 ID:TXVeJvtN9
    <芸能リポーター・石川敏男の芸能界”あの出来事のウラ側は……”③>

    女優・薬師丸ひろ子さんの誕生日を祝うパーティーが、‘98年6月5日午後6時に都内のホテルで、開かれた。

    4日後に34歳の誕生日を迎える彼女は、角川映画を支えてきた看板女優。会場には、俳優の真田広之さんや歌手の森山良子さんらの芸能、音楽関係者ら約100名が招待され華やかでにぎやかな宴が繰り広げられた。

    司会はご主人の玉置浩二さん。「ワインレッドの心」「セーラー服と機関銃」などの大ヒット曲や、
    玉置さんが作曲し薬師丸さんとの結婚のきっかけになった「胸の振り子」という曲も披露されて、大いに盛り上がった。

    ところが、和やかだったパーティーが、お開きになる寸前、玉置さんの一言でガラリと変わることになる。

    「今日で(薬師丸)別れます。今まですごく楽しかった。長い間話し合って、生き方を別々にすることにしました。心はすごく通い合っていますし、これからも通じあうでしょう」

    と、発言したのだ。会場のお客さんの顔が、驚きに変わる。薬師丸さんもニコニコしながら、

    「そういうことです。これから届け出を出します」

    と、返した。この発言で、会場は急に重苦しい雰囲気に変わる。

    すごく不思議な演出だと思ったが、それが二人のやり方(?)。会場のいたるところに「不仲の噂はあったけど。これ嘘でしょう。離婚の発表なの?」と、小さな囁きが生まれた。

    直前まで、あたたかい空気に包まれていた参加者たちは、玉置さん、薬師丸さんのCDとまんじゅうの引き出物を持って解散することになった。招待客には「なんで?」という思いが残ったようだ。

    その7年半前の‘91年1月に、二人はハワイ・マウイ島で式を挙げた。晴天の元、父親の手に引かれ教会のバージンロードを歩く薬師丸さんを

    「言葉にならないくらい奇麗でした。すごく感動しました」

    と、カパルア・ベイ・ホテルのプールサイドで会見した玉置さん。その取材をしていたオレは、

    「どんなことがあっても最後まで一緒にいたい」
    「“ピーちゃん”と呼んでいる」
    「“お父さん”と呼んでいます」

    と、照れながら話していたふたりの姿が脳裏に浮かぶ。

    人気女優、薬師丸さんは家庭に入ることになった。
    音楽活動をする彼へのサポートが理由のようだった。

    結婚当初は、彼女がかいがいしく玉置さんのコンサート会場で働く姿もよく見かけられた。しかし、それも長くは続かなかった。

    結局、籍を入れたのはハワイ挙式から1年半も経って。
    理由は、「婿養子になってほしい」と主張する薬師丸側に、玉置さんが拒否していたのが真実らしい。

    それでも、二人は6億円と言われた豪華新居で薬師丸さんの両親との同居生活を始めていた。
    玉置さんが、世間で言うところの“マスオさん”状態になっているという声が流れだしたのもこのころだった。
    音楽活動する玉置さんの仕事部屋も物置に変わって行ったようで、すでに二人の別居生活が始まっていたのだ。

    生まれも育ちも違う男女が結婚して暮らすのだから、すれ違いは仕方ない。

    しかし、ハワイで“幸せいっぱい”を見せつけられたオレには、離婚の理由は見つけることができなかったな……。

    文:石川敏男(芸能レポーター)
    ‘46年生まれ、東京都出身。松竹宣伝部→女性誌記者→芸能レポーターという異色の経歴の持ち主。『ザ・ワイド』『情報ライブ ミヤネ屋』(ともに日本テレビ系)などで活躍後、現在は『めんたいワイド』(福岡放送)、『す・またん』(読売テレビ)、ラジオは福井放送、ラジオ関西、レインボータウンFMにレギュラー出演中

    https://news.yahoo.co.jp/articles/292bc3cd60e5cde417ad125737d7bb5d6ed107da
    5/27(水) 16:02配信

    https://youtu.be/7PdNB1DK6_w


    薬師丸ひろ子 - 胸の振り子

    https://youtu.be/GO7gR-NJu7o


    恋の予感 安全地帯

    【玉置浩二に驚かされた、薬師丸ひろ子誕生日パーティーでの離婚発表。】の続きを読む

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    1: 砂漠のマスカレード ★ 2020/06/05(金) 04:43:38.08 ID:7ccoZBHq9
    【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】

     中森明菜のファーストアルバム『プロローグ(序章)』の好セールスにワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)内の“明菜ムード”も高まった。

    地方営業所でレコード店の営業だった担当者は当時を振り返る。

    「明菜の場合は地方キャンペーンをきめ細かくやってきたことが功を奏し、レコード販売店からの反応は、いわゆる“82年組”と呼ばれる新人の中でもよかった。ですからメディア展開以上にレコード店頭での販促展開が効果を発揮していましたね。そう言った意味でエンド・ユーザーには中森明菜の名前はかなり浸透していました」

     アルバムがチャートにベストテン入りしたこともあり、反応が鈍かった芸能誌からも取材の問い合わせが舞い込むようになっていた。

     セカンド・シングル『少女A』は7月28日に発売が決まっていた。

     ツッパった10代の少女の揺れ動く表情をマイナー調8ビートに乗せて歌ったこの作品は、広告代理店のコピーライターから転身した売野雅勇が作詞、尾藤イサオのバックバンド「ザ・バロン」でギターを担当していた河内広明こと芹澤廣明が作曲したものだった。

     ちなみに、売野と芹澤のコンビは、後にチェッカーズの作品でヒットを飛ばすが、『少女A』は文字通り、このコンビでの“出世作”となった。

     もっとも当初、セカンドシングルはデビュー曲『スローモーション』に近い路線の作品で、来生えつこ(詞)と来生たかお(曲)コンビによる『あなたのポートレート』で決まっていた。しかし、明菜の制作宣伝を統括していたワーナーの寺林晁氏(現「エイベックス・エンタテインメント」レーベル事業本部アドバイザー)のツルの一声で『少女A』に変更された経緯があった。

     寺林の判断には社内からも異論が出ていた。ワーナーで明菜のプロモートを担当していた富岡信夫氏(現「モモアンドグレープスカンパニー」代表取締役)が明かす。

     「明菜に関しては、寺林さんの指示は絶対でしたので『少女A』という決定は変えようがありませんでしたが、とはいえ第2弾も来生コンビの路線で行くべきだったのではないかという意見が、社内の一部に根強くあったのも確かです。いずれにしても、セカンドシングルの直前に発売したアルバムが好調だったこともあって、発売直前までそう言った声がくすぶっていましたね」

     もっとも『少女A』には、そんな意見以上に制作現場泣かせ(?)な難題があった。

     「明菜自身が『少女A』の“A”を自分のことだと勘違いしていたんです。それで詞の内容を含め、最初から『イヤだ!』『絶対に歌いたくない!』と言い張っていたんです。確かに10代の明菜にとっては強烈的な詞でしたから、余計にそう思ったのかもしれませんね。彼女は性格的にも繊細ですし、イヤなことは感情に表す子でしたから…。それでレコーディングも苦労したと聞きました。とにかくスタジオで『歌いたくない』と言って聞かない明菜を、時間をかけてなだめたのだと思います。結局は不機嫌な状態でレコーディングしたようですが、歌入れでは、本人にはテストと言いながら1回目から内緒で録音したと聞きました」と明かす。

     「もっともディレクターも明菜の強情な性格を知り尽くしていたので、途中で『聴いていて何も面白くない』と逆にけしかけたようです。すると急に明菜の歌に対する怒りのエネルギーが爆発して、最終的にはディレクターの納得した歌が録れたそうです。その後、セカンド・シングルにすると決めたのが寺林さんの意向だということで本人も納得したようです。とにかく明菜というのは、自分の考えや意見をむやみに言うだけではなく、一方では柔軟な考えも持ち合わせていました。ただ思い出すのは、ジャケットの…あの、どこか睨みつけているような表情も気に入っていなかったようでしたね」 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

     ■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、54歳。東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』で合格し、82年5月1日、シングル『スローモーション』でデビュー。『少女A』『禁区』『北ウイング』『飾りじゃないのよ涙は』『DESIRE-情熱-』などヒット曲多数。

     NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/df96d1020ac0db113e190780143049667cb25a02
    6/4(木) 16:56配信


    https://www.youtube.com/watch?v=sTn6eaiYN1w


    中森明菜 - 少女A

    https://www.youtube.com/watch?v=rcaPgKJc4GQ


    あなたのポートレート 中森明菜

    https://i.imgur.com/PJPakOp.jpg 

    PJPakOp

    【中森明菜、”少女A”を不機嫌状態でレコーディング。強烈な詞に「絶対に歌いたくない!」言い張り。】の続きを読む

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    1: 砂漠のマスカレード ★ 2020/05/30(土) 21:56:12.82 ID:rzL3a78x9
    【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】

    「中森明菜は絶対にビッグ・アーティストになる。だからコンセプトを持った作品作りに全力をあげるようにと現場にはハッパをかけていました。
    確かにデビュー・シングルは期待通りには行きませんでしたが、ただ気持ちのどこかでアルバムには期待というか自信のようなものがあったことは確かでしたね。
    正直言って明菜のボーカルは新人の中でもピカイチだったので、作品さえよければ必ずアルバム・アーティストとして成功すると思っていました。
    シングルは、そのための起爆剤になればいいと考えていました」

    明菜の制作宣伝を統括していたワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)の寺林晁氏の思惑は見事に当たった。

    1982年7月1日に発売されたファースト・アルバム『プロローグ(序章)』は同月12日付オリコンのアルバム総合チャートで初登場7位にランクされたのだ。

    「やはり作品。今でも作品に恵まれたと思っています」と寺林氏。

    実はデビュー曲も含め、アルバム収録曲には苦悩があった。
    ワーナーで明菜のプロモーターを担当していた富岡信夫氏は「当時の(明菜担当の)ディレクターから聞いた話」と前置きした上で制作秘話を明かしてくれた。

    「来生たかおさんに作品を依頼したらどうかと言ったのは私でした。前の年(81年)に大ヒットした『夢の途中』を聴いた時から、来生さんが気になっていて、ディレクターに提案したのがきっかけだったんです。
    一方で作詞は松本隆さんにもアプローチしていたようです。ただ松本さんは実に律義な方で、松田聖子の作品をやっている事情から、せっかくですが遠慮しなければならないと丁重にお断りされたといいます。
    そこで、作詞は来生えつこさん、作曲は来生たかおさんのコンビ作品をメインに据え、脇を新人作家の作品で固めようとなったのです。
    もちろん新人といっても、作家の伊集院静さんが伊達歩というペンネームで作詞した『ダウンタウンすと~り~』も含まれていました。
    この作品は明菜もお気に入りでコンサートでは必ずセットリストに入れていました」

    それにしても松本隆が、デビュー前で、しかもメディアからはまったく相手にされず「新人では6、7番手」といわれていた明菜への楽曲提供を「聖子」を理由に断ったのは、この時から明菜の底知れぬ才能を見抜いていたのかもしれない。

    聖子と明菜を知る芸能関係者はいう。

    「松本さんですから、むげに断るとは思いません。当然、明菜のデモテープは聴いたはずです。その上で明菜に感じるものはあったはず。もしかしたら聖子のライバルになるかもしれないと…。で

    なければ聖子の楽曲をやっていても受けたと思います。松本さんの読みは当たったのかもしれませんね」

    ちなみに聖子のデビュー当時の『風は秋色』や『青い珊瑚礁』など代表作を手掛けた小田裕一郎さん(2018年9月死去)は、明菜と同期の石川秀美の初期の作品を手掛けていた。

    いずれにしても作家の選定で他のアイドルとの「差別化」にこだわっていた寺林氏はいう。

    「既成概念にとらわれないスタイルでやっていくことが私の考えでした。もちろん賭けもありましたが、いかに明菜のボーカル力をクローズアップさせるかが大きなポイントだと考えていたんです。
    この戦略を実現させるために、とにかく現場には新人作家、シンガー・ソングライターをメインに起用するようにと指示したのです」

    そういった戦略が功を奏し、明菜はアイドルの枠を超えたアーティストとして注目されるようになった。

    「結果的になるかもしれませんが、明菜は多くの作家、アーティストにも刺激を与えた“歌姫”として成長していきました。それが、その後の『歌姫シリーズ』にも結びついていきました」 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

    ■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、54歳。東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』で合格し、82年5月1日、シングル『スローモーション』でデビュー。
    『少女A』『禁区』『北ウイング』『飾りじゃないのよ涙は』『DESIRE-情熱-』などヒット曲多数。

    NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

    https://www.youtube.com/watch?v=COxJIm1dCo4&list=PL2wNvj-Fcy0L0N1xTcKggrKNUEpoG_-N1


    Akina Nakamori (中森明菜) - あなたのポートレート

    https://news.yahoo.co.jp/articles/81e2ece6d4675f3c73608ed28b910378ffc8e1f3
    5/27(水) 16:56配信

    【松本隆さんに作詞をアプローチも”松田聖子”を理由に断られた。中森明菜の軌跡と奇跡。】の続きを読む

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    1: 砂漠のマスカレード ★ 2020/05/30(土) 21:37:07.45 ID:rzL3a78x9
    30日に放送された日本テレビ系の音楽特番「名曲の祭典 Premium Music 特別編」で、「40年分のプレミアム日テレドラマ主題歌」が特集された。すると、1995年に放送された同局系連続ドラマ「星の金貨」が取り上げられ、主題歌「碧いうさぎ」を歌う酒井法子(49)の過去の映像が放送された。

    酒井は09年から一時活動を休止していたが、テレビドラマに復帰したほか情報番組やバラエティー番組に出演。舞台でも活躍している。最近は国内だけでなく香港などアジアでもライブを開催している。

    ツイッター上では「結構長い尺で流れた」「碧いうさぎは名曲よ」「日テレドラマ主題歌いっぱいあるのにノリピー放送するのすごいな」「10年くらい経つもんね」などの感想が書き込まれていた。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/f97c0efa1d31969502f8b955d4163ee9e59b3a2b
    5/30(土) 19:57配信

    https://up.gc-img.net/post_img_web/2020/05/13lcATtbfQhHtj5_14040.jpeg
    13lcATtbfQhHtj5_14040

    https://www.youtube.com/watch?v=QgxEHGkdRWY


    酒井法子 碧いうさぎ PV

    https://www.youtube.com/watch?v=8nvDW3o1x7c


    酒井法子 鏡のドレス PV

    【『酒井法子』の「碧いうさぎ」が日テレで流れる。】の続きを読む

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    1: 47の素敵な(光) (アウアウウーT Sac7-f9J/) 2020/05/26(火) 11:53:06.69 ID:oUVx7vrja
    デキ婚するまでの川栄くらいかな

    【『 小泉今日子 』 ←最近ヤバいこのおばさん昔アイドルだったらしいけど48・46Gで言えば誰レベルだったの?】の続きを読む

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    1: 少考さん ★ 2020/05/24(日) 13:50:56.45 ID:TfKdJnsF9
    コンサバ系アイドルだった中山美穂がバブルを席巻した名曲の数々(FRIDAY) - Yahoo!ニュース
    https://news.yahoo.co.jp/articles/f222fb71cf25781001c7e17698980c85ba22e0f3

    5/24(日) 11:02配信 サリー久保田(ファントムギフト、les 5-4-3-2-1、SOLEIL)

    松本=筒美=船山のゴールデントリオが中山美穂で結実した、ダンス・ビート歌謡最高峰の三部作

    J-POPの礎を築いたといわれる偉大なヒットメーカー、筒美京平。
    わたくしサリー久保田が毎回ひとりの’80年代アイドルを取り上げ、
    そんな京平サウンドの魅力について筆をとらせていただております。第2回は中山美穂です。

    筒美京平は中山美穂に、デビュー曲「C」(1985年)から「派手!!!」(1987年)まで、6枚のシングル曲を提供しています。
    中でも作詞・松本隆、編曲・船山基紀で臨んだ
    「ツイてるねノッてるね」(1986年/大村雅朗と共同アレンジ)「WAKU WAKUさせて」(1986年)、「派手!!!」(1987年)の三部作は
    中山美穂アイドル時代の最重要曲であり、同時に京平ダンス・ビート歌謡の集大成といわれています。
    これらの名曲はどうやって完成したのか!? 今回はそのルーツも辿りながらお話ししますね。

    ■すべては作詞家・松本隆の“ミポリン推し”から始まった

     中山美穂は1985年、ドラマ『毎度おさわがせします』で女優としてデビュー。ドラマではツッパリ少女役、
    同年の映画『ビー・バップ・ハイスクール』でもヤンキーたちのマドンナを好演するなど、女優と歌手を兼業しながら、
    それまでのぶりっ子アイドルとは違う魅力を発揮していきます。
    同期はおニャン子クラブ、南野陽子、本田美奈子、斉藤由貴など。タヌキ顔が多い女性アイドルの中で、
    中山美穂はキリッとした目元が印象的なキツネ系美人。
    また、ファッション雑誌『ViVi』のカバーガールの常連だったこともあって、コンサバ系のお姉さんたちにも一目置かれる存在となります。  
     そんな彼女の魅力にいち早く注目したのが、作詞家の松本隆でした。TVを観て中山美穂を気に入った松本隆は自ら作詞を志願。
    一説によると本田美奈子のレコーディングでスタジオ入りしていた筒美京平を訪ね、曲を書いてほしいと直談判したらしいです。

    デビュー曲「C」の〝ツッパリ、ちょいワルで早熟だけど、実は繊細な女の子〟という詞の世界観と中山の拙い歌声がみごとにマッチし、
    歌手としても好スタートを切りました。京平ダンス・ビート歌謡の最高峰が生まれたきっかけは、実は松本隆のミポリン推しにあったんですね。

    ■ワンレンボディコンお立ち台。バブル絶頂期の「ツイてるねノッてるね」で初のトップ3入り

     ダンス・ビート三部作が生まれた頃の日本は、まさにバブル絶頂期。元祖お立ち台のマハラジャを筆頭に
    ディスコ人気(第二次ディスコブーム)が高まり、女の子たちはみんな平野ノラみたいな(ちょっと古いか?)
    ワンレンボディコン。歌謡界でも荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」(1985年)、森川由加里の「SHOW ME」(1987年)
    といった洋楽カバー曲が大ヒットしました。そんな時代に登場したのが
    中山美穂7枚目のシングル「ツイてるねノッてるね」(1986年)です。
     正確には、編曲は大村・船山の共同アレンジですが、ここから至極の三部作が始まります。
    小泉今日子やC-C-Bなどで培った成功と実績が、中山美穂で大爆発します。
    筒美京平は受注が来て曲を書く職業作家なので、とにかく売れることがマストの使命。
    自分の書いた曲がオリコンのベスト10内に入らなかったら意味がないという意識を常に持ち続けていました。
    当時の洋楽シーンはカイリー・ミノーグやバナナラマといったユーロビートが全盛。
    そんな洋楽のエッセンスを取り入れつつ、どこか懐かしいメロディーに最先端の音を組み合わせるのは、
    筒美京平が得意とするところでした。
     サビのコードはBm→Em→A7→Dとスムーズに流れる5度進行で、
    〝♪ツイてるね、ノッてるね〟はメロも歌詞もシンプルなのにとってもキャッチー。グッと来ますもんね。
    時代の後押しもあり、この曲は中山美穂初のチャート3位となります。

    ■ヒットのベースにあったのは’60年代からソウル・ディスコに向き合ってきた筒美京平のパッション
    ■煌びやかなアレンジがたまらない! 最高峰の「WAKU WAKUさせて」満を持して誕生
    ■「派手!!!」の元歌は小泉今日子の「なんてったってアイドル」!?

    全文はソースで

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    1: 砂漠のマスカレード ★ 2020/05/23(土) 11:51:46.45 ID:CGCGVuzv9
    かつて世間の注目を集めた有名人に「あの騒動の真っ最中、何を思っていたか?」を語ってもらうインタビュー連載。第9回は'80年代後半から'90年代前半にかけて活動したアイドルグループ『CoCo』の一員だった、はねだえりか(47)。グループが解散に至った経緯、また妊娠・出産を経験し、その後シングルマザーを選択した理由について聞いた。


    「もともと芸能界に入るつもりはなかったんです。母は私を姉と同じ薬剤師にさせたいと考えていたので、そうするつもりでした」

     '89年に放送開始したフジテレビ系バラエティー番組『パラダイスGOGO!!』。アイドルを目指す10代の女の子たちで構成された番組内のグループ『乙女塾』の1期生で、同年に5人組アイドル『CoCo』としてデビューした、はねだえりか(旧芸名・羽田惠理香)。現在もタレントとして芸能活動をしているが、デビュー当時は2年前に『おニャン子クラブ』が解散し、“アイドル氷河期”と呼ばれたころだった。

    はねだがCoCoになるまで
    「姉が勝手に私の書類を作って、『国民的美少女コンテスト』に応募したんです。トントン拍子に選考が進んだので、気持ちが盛り上がって。でも、最終選考はステージの上を歩いただけで終わり、受賞を逃しました。それがすごく悔しくて、『乙女塾』に応募したのが始まりでした」

    『CoCo』と同時代に活躍したアイドルグループ『ribbon』メンバーも在籍していた『乙女塾』。タレント育成も目的としており、女優・歌手・モデル・タレントを目指して日々レッスンを行っていた。はねだは“歌手コース”に在籍していた。

    「1週間に土曜日だけ歌のレッスンがありました。でも、私は女優コースで応募していたんです。歌がうまいわけではなかったし、“羽田さんは歌手コース”と言われて驚きました。無理ですよと……」

     それでも『パラダイスGOGO!!』に出演しながら、『EQUALロマンス』という曲でデビュー。

    「初めてのレコーディングはヒドイものでした。ヘッドホンから自分の声が流れるなんて、わけがわからず(笑)」

     デビュー曲はオリコン7位を獲得。その後もシングルは11曲連続ベスト10入り。バラエティーなどのテレビ出演も増え、次第に忙しくなる。はねだは進学校に通っていたので、苦労も多かった。

    「小・中・高と筑波大学附属校に通っていました。いわゆる“芸能人が通う学校”ではなく学業優先。学校に芸能活動を伝えると、アルバイトとしては認めるけれど、特別扱いはしないと。仕事現場で宿題をやって、間に合わないと家に持ち帰っていました。夜遅くまで仕事しても、朝は時間どおりに学校に通っていたので、いつも睡眠不足。学校生活をしっかりこなそうとしましたが、留年して高校には4年間通ったんですよね」

     現場からメイクしたまま学校に行くことも。忙しい毎日だが給料は月給制で、デビュー当初は月7万円だった。

    「あまり買い物もしないし、母に管理してもらっていました。1年ほどすると、自分はアイドルのタイプじゃないと思うようになりました」

     '92年にはメンバーが1人抜けて、4人組に。

    「1人抜けてからも2年間は活動したのですが、だんだんソロ活動が増えてきました。グループとして活動することが難しくなってしまったのかな。私は“5人でCoCo”と思っていたので、4人になることを聞かされたとき、疑問が大きかった。解散が決まったときは“来るときが来たな”と思いました」

     '94年に『CoCo』は解散。その後、日本テレビ系の人気番組『進め!電波少年』では過激なアポなし取材で身体を張ったロケが話題に。

    「女優をやりたいという思いはありましたが、いただくお仕事はバラエティー中心。でも、やってみるとすごく楽しかった。もちろん、バラエティーをやった先に女優業があればいいなと思って、事務所には話していましたが、“はねだはバラエティー班だから”って(笑)」

     '12年に突然、結婚と妊娠を発表。無事出産するが、はねだは未婚のまま。パートナーとは、しばらくは一緒に生活していたが破局。

    先に子どもを授かって
     そのころの気持ちを、今回初めて打ち明けてくれた。

    「パートナーとは、いわゆるタイミングが合わなかったんです。先に子どもを授かったので、バタバタと籍を入れるよりも、落ち着いてからと思っていました。でも、だんだんお腹が大きくなっていくうちに、お互いにズレが生じて。子どもが生まれた後、そのズレが一気にふくれ上がってしまった。

    5/23(土) 11:00 Yahoo!ニュース
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200523-00017939-jprime-ent

    【はねだえりか、『CoCo』月給7万円時代と、未婚のシングルマザーを語る。】の続きを読む

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    1: muffin ★ 2020/05/15(金) 14:30:33.68 ID:moSubY+C9
    https://npn.co.jp/article/detail/200004039
    2020年05月15日

    「連日のコロナ関連の暗いニュースを、完全に忘れるほどの衝撃でした」
    音楽関係者がそう驚くのは、歌手・松田聖子のことである。

    「彼女のオフィシャルサイトですよ。今も衰えぬ艶肌と微笑みのトップ写真に、すごいな~と感心して見ていたら、何と次に出てきた写真がビキニショットじゃありませんか! 60歳目前の“アラ還”にして、強い日差しのビーチで笑顔を満開にした、グラドル顔負けのビキニショットですから、腰が抜けそうになりました」(同・関係者)

     早速、確かめてみると、そこにいたのはストライプのビキニ姿の聖子。透き通るような白い肌と、見事にシェイプされたウエストラインを堂々と見せつけている。しかも、麦わら帽子が飛ばないように脇の下を丸出しにして両手で抑え、そのまま男性誌の表紙になりそうな挑発的なポーズでのビッグスマイルなのだから、今も現役のアイドルなのだと、あらためて思わされるのだ。

     聖子がこんなにもサービス過剰なのは、実は今年の4月1日でデビュー40周年、大きな節目の記念イヤーということで、気合いが入っているからだろう。

    「6月3日には、デビュー40周年記念アルバム『SEIKO MATSUDA 2020』の発売が決定しており、その中から、『SWEET MEMORIES~甘い記憶~』が先行配信されています」(芸能記者)

     同曲は言うまでもなく、1980年代にサントリーのペンギンのキャラクターCMでおなじみになった、聖子の代表曲の1つ、『SWEET MEMORIES』のセルフカバー。当時、制作されなかった同曲のMVを、聖子自身が監督を務めたもので、4月1日に開設された「松田聖子オフィシャルYouTubeチャンネル」でも配信され、こちらも話題になっている。

    「当時のペンギンのCMをオマージュし、聖子本人がジャズバーの歌手に扮した作品。こちらでも、聖子は胸元のカットが大胆で、セクシーな首筋を見せつける悩ましいドレス姿を披露しています。全編、日本語でレコーディングされたという歌声は、艶と潤いを増しています」(同・記者)

    新型コロナの影響で、3月14日に予定されていた『SEIKO MATSUDA プレミアム バースデーステージ2020』は中止となり、6月からのコンサートツアーも開催はビミョーだが、
    「この若さと元気なら、終息後の大爆発は間違いなく、昭和、平成に続き、令和の時代も大いに話題を振りまいてくれそうです」(前出の音楽関係者)

    https://www.seikomatsuda.co.jp/img/top1000_2.png
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    https://www.seikomatsuda.co.jp/img/top1000_3.png
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