メタルは負けず嫌い

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    カテゴリ:アイドル > クラシックアイドル

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    1: 湛然 ★ 2021/03/21(日) 05:47:03.21 ID:CAP_USER9
    “うたのおねえさん”茂森あゆみが感じた「松田聖子の歌唱力」
    3/20(土) 6:09 女性自身
    https://news.yahoo.co.jp/articles/e705d9a07b6c85ff4b83f7b231a682cda53471da
    83年の『アン・ドゥ・トロワ』コンサートツアー。『赤いスイートピー』のイントロが流れると、どの会場も大歓声が/Copyright (C) 2021 Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.
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    住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にはやった歌やドラマの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

    「カラオケでは『夏の扉』(’81年)や『天使のウインク』(’85年)を振りつきで。当時、『ザ・ベストテン』(TBS系)では歌われなかった隠れた名曲『制服』(’82年)もよく歌います。シングル盤ではこの曲のA面が『赤いスイートピー』(’82年)で、もちろん大好きなんですけど、すごく難しい曲なので、カラオケでは歌わないんです」

    そう話すのは、『おかあさんといっしょ』(NHK)の17代目・うたのおねえさんで、’99年に『だんご3兄弟』が大ヒットした、歌手の茂森あゆみさん(49)。松田聖子の歌唱力、そして楽曲の難度の高さは、幼いころから音楽に触れてきたからこそ、より強く感じるという。

    「姉の影響で音楽幼稚園に通い、ピアノ教室にもおまけのように付いて行きました。練習好きではない私が、明るい気持ちでレッスンを終われるようにと、先生が最後に歌わせてくれて『あゆみちゃんは声がいい。歌うことに向いている』とおだててくれたんですよ」

    音楽の基礎教育を受け、姉が聴くイタリア歌曲をマネし、父にカタカナで書いてもらった外国語の歌詞を見て、ラテン音楽を歌った。

    「声楽家になる夢を抱いたのは、小5のとき、地元・熊本に来たレナータ・スコットというオペラ歌手のステージを見たことがきっかけでした」

    そんなころに出合ったのが、聖子の8枚目のシングル『赤いスイートピー』だったのだ。

    「出だしは低音で、そこからサビの高音まで、すごく幅広い音域をしっかり歌えることに驚かされました」

    初のバラード曲であることにも、茂森さんは注目している。

    「速いテンポの歌は勢いで歌うことができますが、ゆっくりした曲は1音1音をしっかり歌わないとボロが出ちゃう。しかもブレスも長い。あれだけ細い体で腹式の声が出ることは驚きです。ときおり差し込む“聖子節”みたいな魅力的な声の使い方もあり、ただ歌がうまいだけではない、断トツの歌唱力を、当時から感じていました」

    『瑠璃色の地球』(’86年)などにも魅了された中学時代を終えると、茂森さんは本格的に音楽と向き合うため、武蔵野音楽大学附属高、そして武蔵野音大声楽科へと進んだ。

    (※中略)

    後に首席で卒業する音大在学中に『おかあさんといっしょ』のうたのおねえさんに就任。『たんご3兄弟』で紅白歌合戦に出場したときは、憧れの松田聖子と同じ舞台に立つことができた。

    「現場には知り合いのNHKの裏方さんがたくさんいて、リハーサルのときにふらっと聖子さんに近づこうとする私をみて『あゆみ! そっちじゃないだろう』と止められたりしました(笑)」

    昨年、プロの歌手(人間)とAI(人工知能)が『赤いスイートピー』の歌唱勝負をするテレビ番組で審査員を務め、あらためて同曲の難しさ、そして歌うことの素晴らしさを感じたそう。

    「“人間代表”として歌った純烈さんも、やはり『この曲は難しい』と。サビのロングブレスできつくなるのですが、AIは難なく歌えてしまう。逆に言えば、きついと感じながら歌う声は、生身の人間でなければ出せない“歌の表情”となるのです」

    クラシック出身だから、楽譜を完璧に追うことを心がけるという茂森さん。

    「でも、歌の先生からは“クソ真面目に歌うだけでは誰も喜ばない。歌う本人が好きな曲で、気持ちがなければ伝わらない”とよく聞かされました。そうした“楽譜が見えない歌いっぷり”を、今も現役で続けている聖子さんには、尊敬の念しかありません!」

    「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載

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    1: 砂漠のマスカレード ★ 2021/03/05(金) 07:28:21.58 ID:CAP_USER9
    1984年の大晦日。この年の『NHK紅白歌合戦』一番の話題は、年内限りで引退を表明していた都はるみのラストステージだった。──現在では一応そう伝わるが、実際はそれだけではなかったと言い切れる。

    神田沙也加の「不倫騒動」禍で行われた松田聖子「奇跡のディナーショー」

    当時13歳だった筆者の関心は、都はるみより一組のカップルの去就に向けられていた。それは田舎の中学生だけでなく、「国民の関心事」と言い換えてもいいのかもしれない。

    カップルとは、郷ひろみと松田聖子である。

    交際3年半。「結婚間近」の空気は列島に染み渡り、特にこの時期は情報が錯綜していた。

    そこでNHKは、紅白の舞台で、二人に“競演”させている。オープニングでは手をつないで登場させ、それぞれの出番においては色を添えるようなダンスパフォーマンス。心憎い演出である。

    オープニングの様子は、現在YouTubeで視聴できる。「松田聖子さんには郷ひろみさん、今年最も話題を呼んだ二人の対戦です」という生方恵一アナの進行に引っ張られるように、タキシード姿の郷ひろみと黒のドレスの松田聖子が舞台中央に歩を進める。

    生方アナもこの二時間半後に、芸能史に残る大失言をしようとは夢にも思っていなかったはずだが、ともあれ、「一年の締めくくりとして頑張ります」と言う聖子に「ダイナミックにやります」と返すひろみ。仲睦まじい様子に「来年の紅白では、二人は夫婦になっているのだろう」と筆者は感じた。

    そもそも、松田聖子は中学生の頃から、郷ひろみの大ファンだった。

    コンサートにも足を運んだし、ファンクラブにも入っていたらしい。1978年にアイドルの登竜門「ミスセブンティーン・コンテスト」に応募したのも、全国大会のゲストが郷ひろみだったからだ。

    コンテストの九州大会で優勝し、全国大会の切符を掴んだ蒲池法子(本名)だったが、父親の反対で出場は許されなかった。それでも芸能界の道を諦めず、サンミュージックにスカウトされ、80年に歌手デビュー。一躍人気アイドルにのぼりつめた。

    郷ひろみとの熱愛が報じられたのは、一年後の1981年5月24日。報知新聞が一面で「聖子・郷結婚!」。日刊スポーツは芸能面で「結婚へ! 郷ひろみと松田聖子」と書き立てた。それでも、松田聖子の人気は下降するどころかむしろ上昇し、一介のアイドルを超えた存在へと肥大化していく。

    しかし、年が明けた1985年1月22日、大ニュースが列島を駆け巡った。その日発売の『週刊文春』(1985年1月31日号)で、松田聖子が郷ひろみとの別離を告白したのだ。それを受けて、映画の撮影が行われていた砧撮影所で、急遽会見が開かれた。

    「好きで愛し合って別れるんだから、今度生まれ変わって来たときには、きっと一緒になろうねって言いました」

    嗚咽混じりのコメントを、この時期耳にしなかった日本人はいなかったのではないか。そう思わせるくらい、テレビのワイドショーで繰り返し流された。泣き言が流行語となったのだ。諸事情はともかく、松田聖子の言葉選びの秀逸さには舌を巻くほかない。

    問題はここからである。涙の破局会見からわずか10日後、驚天動地のニュースが舞い込んだ。


    https://news.yahoo.co.jp/articles/cab2e565e12421469485308f50c775b5d5ec74d8
    3/4(木) 14:01配信

    【36年前、松田聖子が郷ひろみとの別れを決めた”あの瞬間”のこと。】の続きを読む

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    1: 砂漠のマスカレード ★ 2021/03/03(水) 05:54:12.74 ID:CAP_USER9
    18歳の女子高生シンガー、Adoが歌う「うっせぇわ」が話題だ。2020年10月23日のリリース以降、MVの再生回数は8000万回を突破し、2月25日の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)で特集されるなど、大ブームの兆しを見せている。

     今や小学生にも大流行りだが、世間に激しい唾を吐きかける歌詞や激しい曲調に、あの人の“ロック魂”も揺さぶられたようである。

    「女優で歌手の菊池桃子が、25日に自身の公式YouTubeチャンネルで『菊池桃子のうっせぇわ歌ってみた』を公開しました。同チャンネルは“ひとに優しく、自分にもやさしく”をモットーに、菊池が『今、伝えたい気になること』や『思い出エピソード』などを毎週火、木に配信しています。今回は『うっせぇわ』をピアノの弾き語りで配信。清純派イメージの彼女と曲調のギャップに期待が集まっていたのですが、聴いてみると菊池のアレンジがかなり強め。アイドル時代のようなウィスパーボイスで、チャンネルのコンセプトよろしくかなりマイルドな歌い方となっていたことで、視聴した人は肩透かしとなったようです」(芸能ライター)

    ネット上では「普通に酷かった」「ゾクゾクするぐらい恥ずかしい気持ちになった」「もっと気が変になったようなテンションじゃなきゃ歌う意味がない」などと辛らつな感想が続出。実際、再生回数も約1万回と伸び悩んでおり、まさに黒歴史になりかねない爆死ぶりだ。

     そんななか、改めて思い出されたのが、菊池の「ラ・ムー」時代。エンタメ誌ライターがこう懐かしむ。

    「80年代にトップアイドルとして活躍していた菊池が88年に突如、単独記者会見を行い、ロックグループ『ラ・ムー』のボーカルとして歌手活動を行うことを発表しました。菊池は『アイドルでいることに違和感があった』と転身の動機を説明。『少年は天使を殺す』『TOKYO野蛮人』『青山Killer物語』といった物騒なタイトルの曲をリリースしたものの、肝心の菊池のボーカルはアイドル然としていてソロ時代とまったく変わっていませんでした。1年で再びアイドル路線に戻ったことで、ラ・ムーは菊池の黒歴史として語り草となっています」

     菊池の振り切れない性格は、今も変わらずのようだ。

    2021/03/02 11:00
    https://www.cyzo.com/2021/03/post_269695_entry.html

    https://youtu.be/6RmDZWF0Z-4


    https://youtu.be/C-jLEi2uvrE

    ラムー 愛は心の仕事です

    https://youtu.be/dOPWqNCr_tc

    ラムー 少年たちは天使を殺す

    https://i.imgur.com/yS8mn2y.jpg
    yS8mn2y

    https://i.imgur.com/Vf51Shx.jpg
    Vf51Shx

    https://i.imgur.com/5mX2UYU.jpg
    5mX2UYU

    https://i.imgur.com/BIVY46S.jpg 
    BIVY46S

    【菊池桃子、”うっせぇわ”歌ってみた動画が大爆死。 黒歴史『ラ・ムー』を彷彿する中年続出?】の続きを読む

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    1: 砂漠のマスカレード ★ 2021/02/18(木) 12:26:07.16 ID:CAP_USER9
    斉藤由貴の楽曲「卒業」のスタジオライブ映像がYouTubeにて公開された。

    この映像は、斉藤が2月21日にデビュー35周年記念セルフカバーアルバム「水響曲」をリリースすることを記念して公開されたもの。2月上旬に都内にあるビクタースタジオにて、ボーカルとピアノのみのシンプルなアコースティック形態の一発撮りで撮影された。斉藤はデビュー曲である「卒業」をリテイクなしの緊張感の中、武部聡志の繊細なピアノの演奏に乗せてエモーショナルに歌い上げている。

    【動画】斉藤由貴「卒業 (from水響曲)」スタジオライブ(feat.武部聡志)(他4件)

    なお現在ビクターエンタテインメントのTwitter公式アカウント(@VictorMusic)では、10人の著名人から寄せられた「水響曲」発売を祝うコメントが毎日2人分ずつ公開されている。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/e2d35b7a16745746400553aa754445b9d504d83d
    2/18(木) 12:16配信

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    https://ogre.natalie.mu/media/news/music/2021/0218/saitoyuki_20210218.jpg
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    https://media.image.infoseek.co.jp/isnews/photos/hochi/hochi_20210215-OHT1T50225_0-enlarge.jpg
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    https://livedoor.blogimg.jp/megatennews/imgs/8/1/81d6de4a.jpg
    81d6de4a

    https://www.youtube.com/watch?v=CCTf7w4oSuM

    斉藤由貴「卒業 (from水響曲)」スタジオライブ(feat.武部聡志)

    https://www.youtube.com/watch?v=wu6FAIrkpAQ

    斉藤由貴 卒業

    https://pbs.twimg.com/media/CmaGkpDUcAAszpr.jpg
    CmaGkpDUcAAszpr

    https://pbs.twimg.com/media/EROsVQGU8AEiWln.jpg 
    EROsVQGU8AEiWln

    【斉藤由貴、デビュー曲「卒業」を一発撮りで歌い上げる。】の続きを読む

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    1: muffin ★ 2021/02/16(火) 16:54:06.32 ID:CAP_USER9
    https://hochi.news/articles/20210215-OHT1T50225.html

    女優の斉藤由貴(54)が、デビュー記念日の21日に歌手デビュー35周年記念セルフカバーアルバム「水響曲」を発売する。1985年のデビュー曲「卒業」などで編曲を手がけた武部聡志氏(64)がサウンドプロデュースを担当。同曲など全10曲がリアレンジ収録される。斉藤がインタビューに応じ、今作や音楽活動の思いを語った。(加茂 伸太郎)

     透明感のある歌声は色あせない。当時と変わらない原曲キーでのレコーディングに、斉藤は「キーを下げると、歌の世界観そのものが変わってしまう。昔に比べれば、高音域は苦しくなっているけど、原曲で歌えているのはうれしいですね」と笑みがこぼれた。

    「卒業」から11作連続で編曲を手がけた武部氏が、ピアノを軸としたアコースティック編成でリアレンジ。同曲を始め、連ドラ初主演作「スケバン刑事」(85年)の主題歌「白い炎」や「初戀(こい)」「情熱」など全10曲が収録される。

    「包み隠さず、ありのままの斉藤由貴を届ける」がテーマ。余計な枝葉をそぎ落とし、必要な楽器だけを使ったシンプルなアレンジに。歌声の修正もあえてかけなかった。「オリジナル音源に比べたら(音程が)少し揺れていて、欠点も見えるボーカルだと思う。それでも成立するのは武部さんのアレンジ、音の運びが完璧だから。私というボーカルを乗せた船が堅牢(けんろう)だからですよ。武部さんいわく、私の歌唱は『究極の不安定。危うさに魅力があるんだ』と。褒め言葉として言って下さるんですが、ありがたいですね」

    楽器の音入れから立ち会い、綿密にスタッフと意見交換した。熱量を持って制作に取りかかったが、当初は「及び腰だった」という。「正直に申し上げると、35年に何かやることに対して気後れがあったんです。本当にいいの? 必要ある? 50を過ぎて、いい歳(とし)じゃねえかと(笑い)。ざっくばらんに言えば、商売にならないだろう。力を借りるばかりで、自己満足になったら嫌だという気持ちがありました」

    そんなモヤモヤを吹き飛ばしたのは一通のメール。「僕にできることがあれば何でもやる。どんなことでも助けになるから声を掛けてほしい。僕がやらずに誰がやる」。武部氏からの“激励”だった。斉藤は「何かしてあげたいと思って下さる熱い気持ちがうれしかった。音頭を取って、引っ張ってくれたことがすごく大きかったです」と感謝した。

    昨年10月に「卒業」(作詞・松本隆氏)を作曲した筒美京平さん(享年80)の訃報に接した。「松本さんの詞が素晴らしいし、筒美さんの独特な美しいメロディーがあるからこその世界観かなと思います。この曲をデビューにもらえたのは私にとって宝物です。やっぱり『卒業』っていい曲ですよね」

    続きはソースをご覧下さい

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    【斉藤由貴、35年経っても「やっぱり卒業はいい曲。」 嫌だったアイドル時代デビュー曲。】の続きを読む

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    1: 名無し募集中。。。 2021/02/05(金) 19:58:58.82 0
    歌手の中尾ミエ(74)が5日放送のTOKYO MX「5時に夢中!」(月~金曜・午後5時)に生出演。
    AKB48に14年間在籍し、7月に30歳になる柏木由紀(29)が「生涯アイドル宣言」したことについて、元アイドルの立場からコメントした。

     柏木について、「やっぱり、アイドルってのは若さじゃないですかね。若いうちでしょう」と言い放った中尾。
    「私はさっさとアイドルから脱却した方がいいと思います、若いうちにね。新陳代謝で次から次へと若い子が出てくるんだからね」と続けた。

     さらに柏木が「記憶力の低下や振り付けが覚えられなくなっている」と告白したことについて、「30でしょ。私、いくつだと思っているのよ?」とバッサリ。

     「だから早くアイドルを脱却しなさいって言うの。アイドルは卒業、楽しかった思い出を残しておいて。
    若くして引退した山口百恵さんみたいな人は永遠のアイドルと言えるんじゃないでしょうか?」と話していた。
    http://news.yahoo.co.jp/articles/219fcf68a355ec2ee27f0d1c108c8d437ec86cf8

    【大御所の中尾ミエさん「アイドルってのは若い時にやってるからアイドルなのであっていくつになってもアイドルやってる人は見苦しいだけ。」】の続きを読む

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    1: 砂漠のマスカレード ★ 2021/02/03(水) 15:57:15.73 ID:CAP_USER9
    昨年10月にNHK BSプレミアムで放送されるやいなや反響が殺到し、1月30日にNHK総合で異例の再放送が行われた『伝説のコンサート“山口百恵1980・10・5 日本武道館”』。わずか7年半の活動で芸能界を引退した山口百恵だが、その“伝説”は今も決して色あせていない。

    引退コンサートでは企画会議から携わったという百恵。なかでも、選曲には強いこだわりを見せていたという。当時、構成を担当した演出家の宮下康仁さんはこう明かす。

    「宇崎竜童さん(74)、阿木燿子さん(75)夫妻と初めてタッグを組んだ『横須賀ストーリー』ができたとき、百恵ちゃんが『宮さん、聞いて! 次、すごい歌ができたから』って言うんです。百恵ちゃんはそこから変わっていきましたね。引退コンサートで百恵ちゃんが『とにかく私はこの1曲が歌えればいいの』と言っていたのも、宇崎さん夫妻が提供した『曼珠沙華』でした」

    その選曲を巡って、百恵ファンの間で噂されている“都市伝説”がある。往年のファンは言う。

    「引退コンサートで百恵さんは、デビュー曲から最新曲まで網羅した全30曲を披露しました。でもその裏で、ベスト盤的な選曲を求めた総合演出のTBS・山田修爾プロデューサーに対して’80年発売のアルバム『メビウス・ゲーム』の曲目を中心に構成したかった百恵さんが猛反発していたそうなんです」

    宮下さんは噂を「それは本当です」と認めたうえで、“開催危機”があったことまで明かしてくれた。

    ■「私の友達をなんだと思ってるの!」百恵が激怒した理由

    「百恵ちゃんは、『横須賀ストーリー』より前の歌はあまり歌いたくなかったんです。ですから当初、デビュー当時の曲はまったく入っていませんでした。そこでTBS側が百恵ちゃんと親しい人を介して説得しようとしたんです。すると百恵ちゃんを『私の大事な友達をなんだと思ってるの!』と余計に怒らせてしまって。百恵ちゃんは『もう放送はいらない』とまで言ったんです。最終的に私がなんとか説得して百恵ちゃんも『わかった』ということで収まりました」

    語り草となっているのがやはり最後。ラスト1曲の『さよならの向う側』を涙ながらに歌い終え、深々とファンにお辞儀をし、ゆっくりとマイクをステージ中央に置く百恵。そして、悠然と客席を見回して、静かにステージから去っていった。

    この間、約150秒で百恵は永遠に人々の記憶に刻まれることとなったのだ。

    その場で目撃していた盟友・野口五郎(64)はそのときの様子を本誌にこうコメントする。

    「ラストコンサートの隣の席は(西城)秀樹でした。彼女が最後にマイクを置いたとき、僕も秀樹もアーティスト席の皆が、客席のファンの方たちより率先して、スタンディングオベーションをしたように僕は記憶しています」

    この“伝説の150秒”にも百恵の強い意思が込められていたのではないかと、宮下さんは言う。

    「よく『演出でマイクを置かせたのですか?』と聞かれるのですが、常に『そうじゃない』と言ってるんです。やっぱり百恵ちゃんの“最後の気持ち”だと私は思うんです。彼女のメッセージをあの舞台に込めて作っていたのでしょう。とにかく21歳にして心から尊敬できる女性でした」

    令和になった今も、百恵は日本の“夢先案内人”として導き続けていくことだろう――。

    「女性自身」2021年2月16日号 掲載

    https://news.livedoor.com/article/detail/19635182/
    2021年2月3日 6時0分
    女性自身

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    【山口百恵、引退コンサート直前の“事件”。】の続きを読む

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    1: フォーエバー ★ 2021/01/31(日) 20:34:37.67 ID:CAP_USER9
    育った場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にはやったドラマや歌の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

    「人生をともに歩んできた音楽には、勇気と夢をもらいました。そのときどきでお気に入りの曲もありますが、人生でずっと聴き続けている“殿堂入り”の曲が、クリスタルキングの『大都会』、少年隊の『仮面舞踏会』、ゴダイゴの『銀河鉄道999』、そして『青い珊瑚礁』です。毎日、この4曲だけ繰り返し聴くだけでも満足なんですが、とくに女性歌手の曲でもある『青い珊瑚礁』は、歌うのも大好きです」

    当時のシングルレコードを手に語るのは、元バレーボール日本代表の大林素子さん(53)。

    松田聖子のデビュー2作目である『青い珊瑚礁』は’80年7月にリリース。グリコのアイスクリーム「ヨーレル」のCMソングに起用され、オリコン初登場87位ながら、2カ月かけて2位まで上昇し、ミリオンセラーを記録した。松田聖子をスターダムに押し上げた、初期の代表作である。

    「幼いころから、アイドルへの憧れが強くて、’70年代は桜田淳子さんファン。“将来は淳子になって、(西城)秀樹と結婚する”って、本気で夢見ていました」

    そんな少女だったが、幼稚園時代から背が高いことに悩んでいた。

    「小学校ではクラスの男子から“デカ林”“ジャイアント素子”などと呼ばれたし、大きな体でランドセルを背負う私に、すれ違いざま『でけえ』という大人もいました。だから外遊びは好きじゃなくて、テレビを見る時間が長くなったんですね」

    夕方に再放送されていたアニメ『アタックNo.1』により、バレーボールでオリンピックに行くことで、いじめた相手を見返そうと決意。中学でバレーボール部に入部したころ、大林さんの前に彗星のごとく現れたのが、松田聖子だ。

    「当時600円だったレコードには、なかなか手が出せませんでしたが、歌番組や、アイドルが出演して歌うバラエティ番組が週に何回もあったから、聖子ちゃんの歌はつねに聴いていましたね」

    小柄で、ちょっと甘えたしゃべり方をする聖子は“ぶりっ子”と揶揄されることもあったがーー。

    「そういうところもうらやましかった。背の高い私が持っていない要素ばかりを持っていたから。当時の私にとって、聖子ちゃんは“会いたい人”というより、むしろ“なりたい人”だったんです」

    “聖子ちゃんカット”にも、もちろんチャレンジ。

    「サンリオなどのキャラクターがプリントされた、普通のものよりも厚みがあるクシがものすごくはやって、それで女子は休み時間に髪をとかすんです。私も聖子ちゃんカットにしようとサイドの髪を一生懸命いじるんだけど、ド直毛だから、クシを通した瞬間に、サラサラッて、すぐに真っすぐに戻ってしまって(笑)。あのときほど、クセっ毛の友達をうらやましいと思ったことはありません」

    1/31(日) 11:15配信「女性自身」
    https://news.yahoo.co.jp/articles/47a8ce2c910a16dbbb3e2d4e4fe0c64d7883c702
    https://i.imgur.com/9eC3BO7.jpg 
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    【80年代の聖子の魅力。“ぶりっ子”に多くの女性が憧れ。】の続きを読む

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    1: 爆笑ゴリラ ★ 2021/01/27(水) 04:52:02.50 ID:CAP_USER9
    1/26(火) 20:07配信
    SmartFLASH

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     昭和の人気音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)が、2020年6月からCS・TBSチャンネル2で、数カ月に1回のペースで再放送されている。過去4回の内訳は1980年2回、1982年1回、1983年1回だった。

     これらの視聴率は当時いずれも25%を超えており、33.0%(1980年12月25日)[ビデオリサーチ調べ/関東地区・以下同]の回もあった。番組黄金期からのピックアップは、自然な成り行きだろう。

    『ザ・ベストテン』は、開始時から司会を務めてきた久米宏が1985年4月限りで降板。これを境に数字は下落していく。

     それでも、裏番組に『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ系/1988年10月開始)がスタートするまでは、20%前後を保っており、高視聴率に変わりはなかった。ただ、ピークがあまりに高かったため、番組後期は振り返られる機会が少ない。

     そのころ、最も番組を飾っていた歌手は誰だったのか? 1978年1月の開始から約12年続いた『ザ・ベストテン』を4年ごとの3期に区分し、後期(1986年1月~1989年9月)のランクイン回数の順位を算出した(名前横の曲名は、同期間のおもなランクインナンバー)。

    1位:104回 中山美穂 『「派手!!!」』『You're My Only Shinin' Star』
    2位:90回 中森明菜 『DESIRE』『TATTOO』
    3位:88回 少年隊 『仮面舞踏会』『君だけに』
    4位:80回 光GENJI 『ガラスの十代』『パラダイス銀河』
    5位:72回 チェッカーズ 『Song for U.S.A.』『素直にI'm Sorry』
    6位:60回 南野陽子 『話しかけたかった』『吐息でネット。』
    7位タイ:57回 田原俊彦 『抱きしめて TONIGHT』『ごめんよ涙』
    7位タイ:57回 荻野目洋子 『ダンシング・ヒーロー』『六本木純情派』
    9位:52回 小泉今日子 『木枯しに抱かれて』『水のルージュ』
    10位:50回 長渕剛 『ろくなもんじゃねえ』『乾杯』

     中森明菜や少年隊を抑え、中山美穂が堂々の1位に輝いている。

     芸能界入りに際して《 “絶対『ザ・ベストテン』に出るんだ” って思ってもいました〉(『週刊平凡』1986年7月18日号)と語る中山は、サードシングル『BE-BOP-HIGHSCHOOL』(作詞:松本隆、作曲:筒美京平)で1986年1月9日に初登場すると、5位、7位、9位、9位と4週連続でベストテン入りした。

     キングレコードの福住朗チーフプロデューサー(当時)は、彼女の人気について、こう話していた。《このころの中山美穂ファンは、圧倒的に女のコでした。きっと、女のコの本音の気持ちを彼女が表現してたからでしょうね》(『オリコン』1990年1月22日号)

     その後、中山は1986年8月発売の『ツイてるねノッてるね』(作詞:松本隆、作曲:筒美京平)で初めてトップ3入りを果たす。福住氏は、《男のコのファンが増えてきたのも、このころからです》(前掲誌)と明かしており、それが順位の上昇に反映されたようだ。

     男子にも女子にも人気を得た中山は、1988年8月18日『人魚姫 mermaid』(作詞:康珍化、作曲:Cindy)で、遂に初めて1位を奪取。翌週は氷室京介の『ANGEL』にその座を明け渡すも、9月1日に再び頂点に輝く。その翌週またしても氷室がトップになるも、9月15日に3度めの1位を獲得した。

    『ザ・ベストテン』の約12年の歴史で、1位から転落した後に “返り咲き” を果たした歌は、ラッツ&スター『め組のひと』、田原俊彦『抱きしめてTONIGHT』に続き、中山美穂『人魚姫 mermaid』が3曲めだった。

     中山は、その後も新曲を出すたびに登場し、最終回(1989年9月28日)も『ヴァージン・アイズ』(作詞:吉元由美、作曲:杏里)が10位に入った。

     この日、ドラマの撮影現場から中継で出演した彼女は、司会の黒柳徹子に「今日が本当に最後になってしまうんですけど、(番組に)追っかけられないということに関してはどうですか?」と聞かれると、「すごく寂しいですね。いつでも出ていたい気持ちがあったんで」と、別れを惜しんだ。

     中山は通算ランクイン数104回で、番組全体を通して比べてみても、五木ひろしの順位を1つ上回る歴代12位となった。『ザ・ベストテン』の再放送も回を重ねれば、1970年代のみならず、1980年代の映像も見られるかもしれない。

    https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20210126-00010008-flash-000-5-view.jpg
    20210126-00010008-flash-000-5-view

    https://news.yahoo.co.jp/articles/809b0f6709664ba04907dac0a4fb7aed9e6eae76

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    1: 湛然 ★ 2021/01/24(日) 06:08:36.21 ID:CAP_USER9
    NHK『伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”』地上波放送決定 総合で1月30日
    2021/01/23 16:50掲載 amass
    http://amass.jp/143648/


    2020年10月にNHK BSプレミアム/BS4Kで放送された『伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”』が地上波で放送決定。
    山口百恵が1980年10月5日に日本武道館で行った最後のコンサートの模様を放送。
    当時のコンサート収録素材を元に、最新技術でリマスターした映像です。NHK総合で1月30日(土)放送。

    ■『伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”』
    NHK BSプレミアム 2020年10月3日
    NHK BS4K 2020年10月5日
    NHK総合 2021年1月30日(土) 午後3:35~午後5:58 (143分)

    引退からこれまで、いっさい公に活動していない山口百恵の“最後の歌声”。色あせないヒット曲の数々には、いま多くの若い世代が新鮮な感動とともに触れているという。全国の視聴者に「山口百恵伝説」を体験していただく。なお、放送は当時のコンサート収録素材を元に、最新技術でリマスターした映像でお届け。

    【出演】山口百恵,服部克久,西条満,郡司行雄,ダンディーズ,THE MOUSTACHE,新室内楽協会,コスモス

    【楽曲】
    「OVERTURE」
    「This is my trial(私の試練)」
    「横須賀サンセット・サンライズ」
    「I CAME FROM横須賀」
    「プレイバック Part1」
    「プレイバック Part2」
    「絶体絶命」
    「イミテイション・ゴールド」
    「愛の嵐」
    「夢先案内人」
    「謝肉祭」
    「横須賀ストーリー」
    「「スター誕生」AGAIN」
    「ひと夏の経験」
    「禁じられた遊び」
    「冬の色」
    「湖の決心」
    「春風のいたずら」
    「青い果実」
    「としごろ」
    「ロックンロール・ウィドウ」
    「いい日旅立ち」
    「一恵」
    「曼珠沙華」
    「秋桜」
    「イントロダクション・春」
    「不死鳥伝説」
    「歌い継がれてゆく歌のように」
    「さよならの向う側」
    「This is my trial(instrumental)」

    (おわり)

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    2: 中年'sリフト(茸) [EU] 2019/11/29(金) 12:43:34.41 ID:WG0X2MLL0
    まじ

    【昔、蓮舫さんって人気アイドルだったってマジ?】の続きを読む

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    1: フォーエバー ★ 2021/01/17(日) 23:49:58.20 ID:CAP_USER9
    アイドルがいちばん輝いていた'80年代。その時代を作り上げたアイドルたちが語る“あのとき”とは? 浅香唯(51)、松本明子(54)、布川敏和(55)、森尾由美(54)が無我夢中で駆け抜けた10代、恋バナ、今だから言える話をぶっちゃけます!

    【写真】50代とは思えない……! '80年代スター歌手たちの変わらぬ美貌

    ◆  ◆  ◆

    松本 ええと……、この中でいちばんの先輩は布川さんだよね。'82年デビューで……。

    森尾 私とアッコ(松本さん)が'83年。

    浅香 私が'85年ですね。

    布川 唯ちゃんは'85年なんだ。まあ、この年になったらみんな一緒ということでいいじゃん(笑)。

    森尾 “この年”ね(笑)。

    松本 布川さんは“花の'82年”と言われてる年じゃないですか。唯ちゃんの年もアイドル大豊作の年じゃない?

    浅香 同じ年だと、中山美穂さんとか、南野陽子さんとか……。

    森尾 そうだよね。だから私たち'83年組だけなんだってば、不作だったのは(笑)。

    松本 もう、'82年組の勢いがすごくて……(涙)。布川さん、自分たちの代がすごいって思っていたでしょ?

    布川 そんなの思っていないよ(笑)。“花の'82年”なんて言われても自覚ないもん。

    森尾 いや、布川くんは特別かも。ほかの人はそういう自覚はあると思うよ。

    松本 だって、当時、何をしたか覚えてないくらい忙しかったでしょ?

    森尾 公“私”ともにいちばん忙しかったんじゃないの~?

    布川 いや、それは……(笑)。俺は15歳でジャニーズ入ったじゃないですか。そのとき、もうトシちゃんもマッチもデビューしていて『金八先生』でブレイクしているわけ。ほぼ一般人の俺からすれば“たのきんが目の前にいる”なんだもん。自分たちが特別なんて思わないよ。

    浅香 その感覚、わかります。

    布川 それで“ユーたちデビューだよ”ってジャニーさんに言われて。もう、わけのわからないうちに、あっという間に時間が過ぎたよね。

    松本 それをうらやましく見ていましたよ……。私らがデビューした年には先輩たちはよりパワーアップしていて。

    森尾 私たち、かすみまくっていたよね。2年目って普通落ち着くじゃないですか。ルーキーは、何もしなくても“フレッシュ”というだけでラッキーをもらえるはずなのに、それすらも持っていかれた感じ(笑)。

    松本 私たちの代、2年目に活躍した人に贈られる『金の鳩賞』は該当者なし、でしたからね。

    布川 ハハハッ(笑)。とりあえず、誰かにあげればいいのにね(笑)。

    1/17(日) 16:01配信
    https://news.yahoo.co.jp/articles/27b35671a9d2c095089845358bd54a27af2d5e0e?page=1
    https://i.imgur.com/RY5G0Gn.jpg 
    RY5G0Gn

    【浅香唯・松本明子・布川敏和・森尾由美、80年代アイドルの“ぶっちゃけ同窓会”。】の続きを読む

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