1: muffin ★ 2020/02/29(土) 15:10:44.46 ID:UXZP1Vqe9
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200229-00010000-ytokushu-ent
2/29(土) 9:07
『上海ハニー』や『花』といったヒットソングで、誰もがその名を知るところとなった沖縄の5人組バンド、ORANGE RANGE(オレンジレンジ)。以前のようにテレビや映画、CMなどで見聞きすることは少なくなったが、現在もライブ中心に精力的に活動を続ける。ORANGE RANGEは、なぜマスメディアと距離を置いたのか。「喜んでもらえるものこそ正義」の真意を聞いた。(
2003年、ORANGE RANGEは電光石火の勢いで世に飛び出した。デビュー当時は全員二十歳そこそこ、RYOにいたっては高校生だった。デビュー翌月にリリースした『上海ハニー』はノンタイアップながら20万枚以上も売り上げ、名実ともに代名詞となる楽曲を手に入れた。YAMATOは「でも実は、『上海ハニー』にフィットしていないメンバーもいたんですよね(笑)5人みんな好きな音楽ジャンルもタイプもバラバラ。デビュー当初はかなりバチバチと意見を交わすこともありました。最初はもう『バラードなんて絶対やらない!』って言っていたくらいで」と明かす。
そんな彼らにとって初のポップなサマー・ソング『上海ハニー』のヒットで考え方が一変した。
中略
20代前半にして手に入れたケタ違いの人気――。次々と新曲を作りながら大都市ツアーもこなさなければならない。予算やスタッフの数、寄せられる期待、映画やドラマ、CMなどのタイアップ、気づけばORANGE RANGEに関わるすべてが大きくなりすぎていた。好きなことを自由にやる、そんな姿勢にも変化を求められた。
「タイアップだと、もちろん『こういう曲を作って』と言われます。作品に合わせて『泣ける曲を作って』と言われることもある。もちろんそういった要望も聞きつつ、でも自分たちのやりたいことも通さないといけない。『花』とかは、そういう感じで学びながら生まれた曲です」(RYO)
ひとつひとつのことに向き合いつつも、楽曲作りだけではなく、バンド方針すらも5人だけですべてを決めることは難しくなっていた。
「当時『もっとグローバルに発信したい』と思っていました。そのためにYouTubeで楽曲を公開したかったんですが、今のような時代ではなかったのでなかなか難しかったですね」(YAMATO)
自分たちのことなのに、周りの大人たちがあらゆることを決めていく。しかしその状況を、YAMATOは「僕たちの若さや甘さから生まれた状況でもあった」と振り返る。何もかもが目まぐるしく変わる日々の中で、目の前にあるものを消化することに必死になっていた彼らは、自分たちを見失いかけていた。
中略
「あえてテレビ番組に出ないということもなくて。呼んでいただけたら出ることもあって。でも一番はやっぱり自分たちでライブをして、待ってくれている人たちに届けること。これだけは、この先も一番大切にしてきたいんです」(YAMATO)
ORANGE RANGEはもう『上海ハニー』や『花』など、過去のヒット曲は歌わないのか。5人に聞くと、「めっちゃ歌います(笑)、それが一番お客さんが盛り上がるから」とかえってきた。
彼らにとって「喜んでもらえるものこそ正義」という気持ちは変わらない。ORANGE RANGEは昔も今も、目の前で喜んでくれる人たちと一緒に音楽をやっていく。それが最優先なだけだ。
全文はソースをご覧ください
https://amd.c.yimg.jp/im_siggtwN_US9qbEhmCTfHr5kw9Q---x900-y601-q90-exp3h-pril/amd/20200229-00010000-ytokushu-000-2-view.jpg
2/29(土) 9:07
『上海ハニー』や『花』といったヒットソングで、誰もがその名を知るところとなった沖縄の5人組バンド、ORANGE RANGE(オレンジレンジ)。以前のようにテレビや映画、CMなどで見聞きすることは少なくなったが、現在もライブ中心に精力的に活動を続ける。ORANGE RANGEは、なぜマスメディアと距離を置いたのか。「喜んでもらえるものこそ正義」の真意を聞いた。(
2003年、ORANGE RANGEは電光石火の勢いで世に飛び出した。デビュー当時は全員二十歳そこそこ、RYOにいたっては高校生だった。デビュー翌月にリリースした『上海ハニー』はノンタイアップながら20万枚以上も売り上げ、名実ともに代名詞となる楽曲を手に入れた。YAMATOは「でも実は、『上海ハニー』にフィットしていないメンバーもいたんですよね(笑)5人みんな好きな音楽ジャンルもタイプもバラバラ。デビュー当初はかなりバチバチと意見を交わすこともありました。最初はもう『バラードなんて絶対やらない!』って言っていたくらいで」と明かす。
そんな彼らにとって初のポップなサマー・ソング『上海ハニー』のヒットで考え方が一変した。
中略
20代前半にして手に入れたケタ違いの人気――。次々と新曲を作りながら大都市ツアーもこなさなければならない。予算やスタッフの数、寄せられる期待、映画やドラマ、CMなどのタイアップ、気づけばORANGE RANGEに関わるすべてが大きくなりすぎていた。好きなことを自由にやる、そんな姿勢にも変化を求められた。
「タイアップだと、もちろん『こういう曲を作って』と言われます。作品に合わせて『泣ける曲を作って』と言われることもある。もちろんそういった要望も聞きつつ、でも自分たちのやりたいことも通さないといけない。『花』とかは、そういう感じで学びながら生まれた曲です」(RYO)
ひとつひとつのことに向き合いつつも、楽曲作りだけではなく、バンド方針すらも5人だけですべてを決めることは難しくなっていた。
「当時『もっとグローバルに発信したい』と思っていました。そのためにYouTubeで楽曲を公開したかったんですが、今のような時代ではなかったのでなかなか難しかったですね」(YAMATO)
自分たちのことなのに、周りの大人たちがあらゆることを決めていく。しかしその状況を、YAMATOは「僕たちの若さや甘さから生まれた状況でもあった」と振り返る。何もかもが目まぐるしく変わる日々の中で、目の前にあるものを消化することに必死になっていた彼らは、自分たちを見失いかけていた。
中略
「あえてテレビ番組に出ないということもなくて。呼んでいただけたら出ることもあって。でも一番はやっぱり自分たちでライブをして、待ってくれている人たちに届けること。これだけは、この先も一番大切にしてきたいんです」(YAMATO)
ORANGE RANGEはもう『上海ハニー』や『花』など、過去のヒット曲は歌わないのか。5人に聞くと、「めっちゃ歌います(笑)、それが一番お客さんが盛り上がるから」とかえってきた。
彼らにとって「喜んでもらえるものこそ正義」という気持ちは変わらない。ORANGE RANGEは昔も今も、目の前で喜んでくれる人たちと一緒に音楽をやっていく。それが最優先なだけだ。
全文はソースをご覧ください
https://amd.c.yimg.jp/im_siggtwN_US9qbEhmCTfHr5kw9Q---x900-y601-q90-exp3h-pril/amd/20200229-00010000-ytokushu-000-2-view.jpg
【「上海ハニー」から17年、『ORANGE RANGE』がテレビからライブにシフトした理由。】の続きを読む