メタルは負けず嫌い

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    カテゴリ: アイドル

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    1: 砂漠のマスカレード ★ 2021/02/03(水) 15:57:15.73 ID:CAP_USER9
    昨年10月にNHK BSプレミアムで放送されるやいなや反響が殺到し、1月30日にNHK総合で異例の再放送が行われた『伝説のコンサート“山口百恵1980・10・5 日本武道館”』。わずか7年半の活動で芸能界を引退した山口百恵だが、その“伝説”は今も決して色あせていない。

    引退コンサートでは企画会議から携わったという百恵。なかでも、選曲には強いこだわりを見せていたという。当時、構成を担当した演出家の宮下康仁さんはこう明かす。

    「宇崎竜童さん(74)、阿木燿子さん(75)夫妻と初めてタッグを組んだ『横須賀ストーリー』ができたとき、百恵ちゃんが『宮さん、聞いて! 次、すごい歌ができたから』って言うんです。百恵ちゃんはそこから変わっていきましたね。引退コンサートで百恵ちゃんが『とにかく私はこの1曲が歌えればいいの』と言っていたのも、宇崎さん夫妻が提供した『曼珠沙華』でした」

    その選曲を巡って、百恵ファンの間で噂されている“都市伝説”がある。往年のファンは言う。

    「引退コンサートで百恵さんは、デビュー曲から最新曲まで網羅した全30曲を披露しました。でもその裏で、ベスト盤的な選曲を求めた総合演出のTBS・山田修爾プロデューサーに対して’80年発売のアルバム『メビウス・ゲーム』の曲目を中心に構成したかった百恵さんが猛反発していたそうなんです」

    宮下さんは噂を「それは本当です」と認めたうえで、“開催危機”があったことまで明かしてくれた。

    ■「私の友達をなんだと思ってるの!」百恵が激怒した理由

    「百恵ちゃんは、『横須賀ストーリー』より前の歌はあまり歌いたくなかったんです。ですから当初、デビュー当時の曲はまったく入っていませんでした。そこでTBS側が百恵ちゃんと親しい人を介して説得しようとしたんです。すると百恵ちゃんを『私の大事な友達をなんだと思ってるの!』と余計に怒らせてしまって。百恵ちゃんは『もう放送はいらない』とまで言ったんです。最終的に私がなんとか説得して百恵ちゃんも『わかった』ということで収まりました」

    語り草となっているのがやはり最後。ラスト1曲の『さよならの向う側』を涙ながらに歌い終え、深々とファンにお辞儀をし、ゆっくりとマイクをステージ中央に置く百恵。そして、悠然と客席を見回して、静かにステージから去っていった。

    この間、約150秒で百恵は永遠に人々の記憶に刻まれることとなったのだ。

    その場で目撃していた盟友・野口五郎(64)はそのときの様子を本誌にこうコメントする。

    「ラストコンサートの隣の席は(西城)秀樹でした。彼女が最後にマイクを置いたとき、僕も秀樹もアーティスト席の皆が、客席のファンの方たちより率先して、スタンディングオベーションをしたように僕は記憶しています」

    この“伝説の150秒”にも百恵の強い意思が込められていたのではないかと、宮下さんは言う。

    「よく『演出でマイクを置かせたのですか?』と聞かれるのですが、常に『そうじゃない』と言ってるんです。やっぱり百恵ちゃんの“最後の気持ち”だと私は思うんです。彼女のメッセージをあの舞台に込めて作っていたのでしょう。とにかく21歳にして心から尊敬できる女性でした」

    令和になった今も、百恵は日本の“夢先案内人”として導き続けていくことだろう――。

    「女性自身」2021年2月16日号 掲載

    https://news.livedoor.com/article/detail/19635182/
    2021年2月3日 6時0分
    女性自身

    https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/e/b/eb1ab_1212_f91b5845_1e28ea76.jpg 
    eb1ab_1212_f91b5845_1e28ea76

    【山口百恵、引退コンサート直前の“事件”。】の続きを読む

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    1: ジョーカーマン ★ 2021/02/03(水) 20:10:31.64 ID:CAP_USER9
    たこやきレインボーの春名真依が当面の間、芸能活動を自粛することが発表された。

    たこやきレインボーのオフィシャルサイトによれば、1月23日にYouTubeで行われた生配信「たこ虹の家にいるTVリターンズ#26」において、春名による不適切な発言があったことを受け、本人および家族と協議のうえ、活動自粛が決まった。
    春名の活動自粛中、たこやきレインボーは清井咲希、堀くるみ、根岸可蓮、彩木咲良の4名で活動する。
    また生配信「家にいるTVリターンズ」は当面の間休止となる。

    http://news.yahoo.co.jp/articles/ec131374398b4763f3c4d6742e9877e36cd7ee1b

    春名真依(たこやきレインボー)に関するご報告とお詫び

    日頃より、たこやきレインボーおよび春名真依を応援くださいまして誠にありがとうございます。
    2021年1月23日(土)にたこやきレインボー公式Youtube「たこやきレインボーofficial」にて実施致しました生配信「たこ虹の家にいるTVリターンズ#26」において、弊社所属のたこやきレインボーのメンバーである春名真依による不適切な発言がございました。

    弊社はこの度の事態を重く受け止め、本人およびご家族と協議の上、春名真依の芸能活動を当面の間自粛することといたしました。
    また、所属事務所として、今後二度とこのような事態が起こらないよう、本人ならびにメンバー、スタッフへの教育を徹底し、信頼を取り戻すべく全力でサポートしてまいります。

    ご不快に思われた方へ謝罪申し上げますとともに、ファンの皆様ならびに関係者の皆様にご迷惑をお掛けいたしますこと、深くお詫び申し上げます。
    この度は誠に申し訳ございませんでした。

    2021年2月3日
    株式会社スターダストプロモーション

    私のYoutube生配信での大変不適切な発言で、ご不快な思いをさせてしまったことを心からお詫び申しあげます。言葉の意味の誤解、自分の無知によって、こうした事態を引き起こしてしまったことを、深く反省しております。
    二度とこのような過ちをおかさないために、しっかりと勉強してまいります。

    2021年2月3日
    春名真依

    http://www.tacoyaki-rainbow.jp/information/210203.html

    春名真依
    http://pbs.twimg.com/media/EtEHMK1UcAAT1Rx.jpg
    EtEHMK1UcAAT1Rx

    たこやきレインボー
    http://pbs.twimg.com/media/Es8Kn6dUUAgPHU6.jpg
    Es8Kn6dUUAgPHU6


    http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1612333856/

    【【魑魅魍魎】『たこやきレインボー』、メンバー・春名真依の不適切発言により活動自粛。】の続きを読む

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    1: フォーエバー ★ 2021/01/31(日) 20:34:37.67 ID:CAP_USER9
    育った場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にはやったドラマや歌の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

    「人生をともに歩んできた音楽には、勇気と夢をもらいました。そのときどきでお気に入りの曲もありますが、人生でずっと聴き続けている“殿堂入り”の曲が、クリスタルキングの『大都会』、少年隊の『仮面舞踏会』、ゴダイゴの『銀河鉄道999』、そして『青い珊瑚礁』です。毎日、この4曲だけ繰り返し聴くだけでも満足なんですが、とくに女性歌手の曲でもある『青い珊瑚礁』は、歌うのも大好きです」

    当時のシングルレコードを手に語るのは、元バレーボール日本代表の大林素子さん(53)。

    松田聖子のデビュー2作目である『青い珊瑚礁』は’80年7月にリリース。グリコのアイスクリーム「ヨーレル」のCMソングに起用され、オリコン初登場87位ながら、2カ月かけて2位まで上昇し、ミリオンセラーを記録した。松田聖子をスターダムに押し上げた、初期の代表作である。

    「幼いころから、アイドルへの憧れが強くて、’70年代は桜田淳子さんファン。“将来は淳子になって、(西城)秀樹と結婚する”って、本気で夢見ていました」

    そんな少女だったが、幼稚園時代から背が高いことに悩んでいた。

    「小学校ではクラスの男子から“デカ林”“ジャイアント素子”などと呼ばれたし、大きな体でランドセルを背負う私に、すれ違いざま『でけえ』という大人もいました。だから外遊びは好きじゃなくて、テレビを見る時間が長くなったんですね」

    夕方に再放送されていたアニメ『アタックNo.1』により、バレーボールでオリンピックに行くことで、いじめた相手を見返そうと決意。中学でバレーボール部に入部したころ、大林さんの前に彗星のごとく現れたのが、松田聖子だ。

    「当時600円だったレコードには、なかなか手が出せませんでしたが、歌番組や、アイドルが出演して歌うバラエティ番組が週に何回もあったから、聖子ちゃんの歌はつねに聴いていましたね」

    小柄で、ちょっと甘えたしゃべり方をする聖子は“ぶりっ子”と揶揄されることもあったがーー。

    「そういうところもうらやましかった。背の高い私が持っていない要素ばかりを持っていたから。当時の私にとって、聖子ちゃんは“会いたい人”というより、むしろ“なりたい人”だったんです」

    “聖子ちゃんカット”にも、もちろんチャレンジ。

    「サンリオなどのキャラクターがプリントされた、普通のものよりも厚みがあるクシがものすごくはやって、それで女子は休み時間に髪をとかすんです。私も聖子ちゃんカットにしようとサイドの髪を一生懸命いじるんだけど、ド直毛だから、クシを通した瞬間に、サラサラッて、すぐに真っすぐに戻ってしまって(笑)。あのときほど、クセっ毛の友達をうらやましいと思ったことはありません」

    1/31(日) 11:15配信「女性自身」
    https://news.yahoo.co.jp/articles/47a8ce2c910a16dbbb3e2d4e4fe0c64d7883c702
    https://i.imgur.com/9eC3BO7.jpg 
    9eC3BO7

    【80年代の聖子の魅力。“ぶりっ子”に多くの女性が憧れ。】の続きを読む

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    1: 少考さん ★ 2021/01/31(日) 09:35:04.84 ID:CAP_USER9
    ジョン・カーペンター、BABYMETALを気に入っていることについて語る | NME Japan
    https://nme-jp.com/news/98147/

    2021.1.30 土曜日

    https://nme-jp.com/nmesite/wp-content/uploads/2021/01/johnbabymetal-720x457.jpg
    Photo: GETTY

    ジョン・カーペンターはBABYMETALを気に入っていることについて語り、BABYMETALに認めてもらえたら「人生の目的は達成される」と述べている。

    映画『ハロウィン』の音楽で知られるジョン・カーペンターは2月5日にリリースされる自身のアルバム『ロスト・シームズIII:アライヴ・アフター・デス』のプロモーションの中でBABYMETALを気に入っていることについて語っている。

    『ケラング!』誌のインタヴューでジョン・カーペンターは自身がヘヴィ・メタルのファンであり、特にメタリカが好きだと語っている。

    「でも、日本のグループのBABYMETALに認めてもらえたら、私の人生の目的は達成されるね」とジョン・カーペンターは語っている。「BABYMETALのことは大好きなんだ! あれは素晴らしいよ」

    今後、BABYMETALとコラボレーションしたいかと訊かれると、ジョン・カーペンターは次のように答えている。「やりたいね」

    ジョン・カーペンターは2017年に『デシベル』のインタヴューでBABYMETALを息子から教えてもらったと説明している。

    「BABYMETALのライヴが素晴らしかったんだ」と彼は語っている。「私の息子は日本のものに夢中でね。彼はBABYMETALを教えてくれたんだ。信じられなかったよ。驚いたね。なんて素晴らしいアイディアだってね」

    (略)

    ※省略していますので全文はソース元を参照して下さい。


    ※関連リンク(ケラング!)
    John Carpenter: My life will be complete if I get endorsed by BABYMETAL ? Kerrang!
    https://www.kerrang.com/the-news/john-carpenter-my-life-will-be-complete-if-i-get-endorsed-by-babymetal/

    【ジョン・カーペンター「BABYMETALに認めてもらえたら、私の人生の目的は達成される。」】の続きを読む

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    1: サーバル ★ 2021/01/29(金) 00:05:37.16 ID:CAP_USER9
    ほうじ
    @i_k_m_z
    片付けをしていたら昔使ってたガラケーからSDカードが出てきて古代遺物が発掘されたよ。
    データを見るにオリジナルのやつだこれ。
    https://twitter.com/i_k_m_z/status/1354353446418149378

    https://pbs.twimg.com/media/EsugdodVcAMy7E3.jpg
    EsugdodVcAMy7E3

    https://pbs.twimg.com/media/Esug5PrUcAAuDlp.jpg
    Esug5PrUcAAuDlp

    https://pbs.twimg.com/media/EsuhG3EUYAIePh7.jpg
    EsuhG3EUYAIePh7

    https://pbs.twimg.com/media/EsuhO7KVoAMQbqE.jpg
    EsuhO7KVoAMQbqE

    2007年7月に行われた飯田圭織・前田有紀ファンクラブバスツアーの時に撮った写真です。
    https://twitter.com/i_k_m_z/status/1354573137124311040

    ★1 :2021/01/28(木) 22:04:20.19

    ※前スレ
    https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1611839060/
    https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)

    【伝説の”飯田圭織バスツアー”画像が発掘される。キッコーマン烏龍茶・余ったバナナの画像も。】の続きを読む

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    1: 爆笑ゴリラ ★ 2021/01/27(水) 04:52:02.50 ID:CAP_USER9
    1/26(火) 20:07配信
    SmartFLASH

    Copyright (C) 2021 Kobunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.

     昭和の人気音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)が、2020年6月からCS・TBSチャンネル2で、数カ月に1回のペースで再放送されている。過去4回の内訳は1980年2回、1982年1回、1983年1回だった。

     これらの視聴率は当時いずれも25%を超えており、33.0%(1980年12月25日)[ビデオリサーチ調べ/関東地区・以下同]の回もあった。番組黄金期からのピックアップは、自然な成り行きだろう。

    『ザ・ベストテン』は、開始時から司会を務めてきた久米宏が1985年4月限りで降板。これを境に数字は下落していく。

     それでも、裏番組に『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ系/1988年10月開始)がスタートするまでは、20%前後を保っており、高視聴率に変わりはなかった。ただ、ピークがあまりに高かったため、番組後期は振り返られる機会が少ない。

     そのころ、最も番組を飾っていた歌手は誰だったのか? 1978年1月の開始から約12年続いた『ザ・ベストテン』を4年ごとの3期に区分し、後期(1986年1月~1989年9月)のランクイン回数の順位を算出した(名前横の曲名は、同期間のおもなランクインナンバー)。

    1位:104回 中山美穂 『「派手!!!」』『You're My Only Shinin' Star』
    2位:90回 中森明菜 『DESIRE』『TATTOO』
    3位:88回 少年隊 『仮面舞踏会』『君だけに』
    4位:80回 光GENJI 『ガラスの十代』『パラダイス銀河』
    5位:72回 チェッカーズ 『Song for U.S.A.』『素直にI'm Sorry』
    6位:60回 南野陽子 『話しかけたかった』『吐息でネット。』
    7位タイ:57回 田原俊彦 『抱きしめて TONIGHT』『ごめんよ涙』
    7位タイ:57回 荻野目洋子 『ダンシング・ヒーロー』『六本木純情派』
    9位:52回 小泉今日子 『木枯しに抱かれて』『水のルージュ』
    10位:50回 長渕剛 『ろくなもんじゃねえ』『乾杯』

     中森明菜や少年隊を抑え、中山美穂が堂々の1位に輝いている。

     芸能界入りに際して《 “絶対『ザ・ベストテン』に出るんだ” って思ってもいました〉(『週刊平凡』1986年7月18日号)と語る中山は、サードシングル『BE-BOP-HIGHSCHOOL』(作詞:松本隆、作曲:筒美京平)で1986年1月9日に初登場すると、5位、7位、9位、9位と4週連続でベストテン入りした。

     キングレコードの福住朗チーフプロデューサー(当時)は、彼女の人気について、こう話していた。《このころの中山美穂ファンは、圧倒的に女のコでした。きっと、女のコの本音の気持ちを彼女が表現してたからでしょうね》(『オリコン』1990年1月22日号)

     その後、中山は1986年8月発売の『ツイてるねノッてるね』(作詞:松本隆、作曲:筒美京平)で初めてトップ3入りを果たす。福住氏は、《男のコのファンが増えてきたのも、このころからです》(前掲誌)と明かしており、それが順位の上昇に反映されたようだ。

     男子にも女子にも人気を得た中山は、1988年8月18日『人魚姫 mermaid』(作詞:康珍化、作曲:Cindy)で、遂に初めて1位を奪取。翌週は氷室京介の『ANGEL』にその座を明け渡すも、9月1日に再び頂点に輝く。その翌週またしても氷室がトップになるも、9月15日に3度めの1位を獲得した。

    『ザ・ベストテン』の約12年の歴史で、1位から転落した後に “返り咲き” を果たした歌は、ラッツ&スター『め組のひと』、田原俊彦『抱きしめてTONIGHT』に続き、中山美穂『人魚姫 mermaid』が3曲めだった。

     中山は、その後も新曲を出すたびに登場し、最終回(1989年9月28日)も『ヴァージン・アイズ』(作詞:吉元由美、作曲:杏里)が10位に入った。

     この日、ドラマの撮影現場から中継で出演した彼女は、司会の黒柳徹子に「今日が本当に最後になってしまうんですけど、(番組に)追っかけられないということに関してはどうですか?」と聞かれると、「すごく寂しいですね。いつでも出ていたい気持ちがあったんで」と、別れを惜しんだ。

     中山は通算ランクイン数104回で、番組全体を通して比べてみても、五木ひろしの順位を1つ上回る歴代12位となった。『ザ・ベストテン』の再放送も回を重ねれば、1970年代のみならず、1980年代の映像も見られるかもしれない。

    https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20210126-00010008-flash-000-5-view.jpg
    20210126-00010008-flash-000-5-view

    https://news.yahoo.co.jp/articles/809b0f6709664ba04907dac0a4fb7aed9e6eae76

    【中森明菜でも少年隊でもない、「ザ・ベストテン」後期の登場回数1位は中山美穂。】の続きを読む

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    1: 名無し募集中。。。 2021/01/21(木) 15:18:45.33 0
    その謎に迫る

    【なぜ伝説のアイドル「鞘師里保」の再活動は失敗したのか?】の続きを読む

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    1: 牛丼 ★ 2021/01/24(日) 10:52:31.63 ID:CAP_USER9
    「(SMAP解散前の)5人の旅行(の番組)見て、すごく感動したのね。あれ、4人とやりたいなっていう」

     元日にABEMAで放送された「7・2 新しい別の窓」で新しい地図と共演した元SMAPのオートレーサー・森且行(46)は、願望をそう口にした。果たして“4人”とは――。
    森が口にした“4人”とは?

     略

     そして冒頭の森の発言も後押しする。

    「『4人とやりたい』と言っているのがポイントで、これは新しい地図の3人プラス、中居のことを指すのは明らかです。中居は新しい地図の3人と今でも頻繁に連絡を取り合うなど距離が近く、フラットな立場の森を仲介にして共演が実現する可能性は十分ある。ただ木村とは疎遠な状況なので、全員の集結にはまだ時間が必要です」(同前)

    “キムタク抜き”SMAPが見られる日は近そうだ。
     
    ★以下ソース
    https://bunshun.jp/articles/-/42902?page=1
    ※前スレ
    https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1611405043/

    【中居正広「再合流したい。」 森且行「キムタク抜きの4人とやりたい。」 なぜキムタクは入れてもらえないのか。】の続きを読む

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    1: 湛然 ★ 2021/01/24(日) 06:08:36.21 ID:CAP_USER9
    NHK『伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”』地上波放送決定 総合で1月30日
    2021/01/23 16:50掲載 amass
    http://amass.jp/143648/


    2020年10月にNHK BSプレミアム/BS4Kで放送された『伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”』が地上波で放送決定。
    山口百恵が1980年10月5日に日本武道館で行った最後のコンサートの模様を放送。
    当時のコンサート収録素材を元に、最新技術でリマスターした映像です。NHK総合で1月30日(土)放送。

    ■『伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”』
    NHK BSプレミアム 2020年10月3日
    NHK BS4K 2020年10月5日
    NHK総合 2021年1月30日(土) 午後3:35~午後5:58 (143分)

    引退からこれまで、いっさい公に活動していない山口百恵の“最後の歌声”。色あせないヒット曲の数々には、いま多くの若い世代が新鮮な感動とともに触れているという。全国の視聴者に「山口百恵伝説」を体験していただく。なお、放送は当時のコンサート収録素材を元に、最新技術でリマスターした映像でお届け。

    【出演】山口百恵,服部克久,西条満,郡司行雄,ダンディーズ,THE MOUSTACHE,新室内楽協会,コスモス

    【楽曲】
    「OVERTURE」
    「This is my trial(私の試練)」
    「横須賀サンセット・サンライズ」
    「I CAME FROM横須賀」
    「プレイバック Part1」
    「プレイバック Part2」
    「絶体絶命」
    「イミテイション・ゴールド」
    「愛の嵐」
    「夢先案内人」
    「謝肉祭」
    「横須賀ストーリー」
    「「スター誕生」AGAIN」
    「ひと夏の経験」
    「禁じられた遊び」
    「冬の色」
    「湖の決心」
    「春風のいたずら」
    「青い果実」
    「としごろ」
    「ロックンロール・ウィドウ」
    「いい日旅立ち」
    「一恵」
    「曼珠沙華」
    「秋桜」
    「イントロダクション・春」
    「不死鳥伝説」
    「歌い継がれてゆく歌のように」
    「さよならの向う側」
    「This is my trial(instrumental)」

    (おわり)

    【NHK「伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”」地上波放送決定。総合で1月30日。】の続きを読む

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    1: フォーエバー ★ 2021/01/22(金) 18:49:21.50 ID:CAP_USER9
    秋元康氏がプロデュースし、80年代に一世を風靡(ふうび)した「おニャン子クラブ」。そのメンバーである渡辺美奈代さんは当時、デビューイベントで1万人を集客するほどの人気でした。アイドル時代を振り返り、「ファンとの距離感は絶妙だった」と言います。今年、ソロデビュー35周年の渡辺美奈代さんに、デビュー当時のことや今のアイドルに対して思うことを伺いました。(スポーツ報知/Yahoo!ニュース Voice編集部)

    レッスンなしでアイドルに

    渡辺美奈代の軌跡(画像制作:Yahoo! JAPAN)

    --1985年11月末に、「おニャン子クラブ」のオーディションに合格。当時のおニャン子クラブは、発売するレコードが軒並みオリコンチャート1位を獲得するなど、アイドルの中でもトップを走る存在でした。突然ですが、これまでの人生で最も輝いた15分はいつですか?

    美奈代さん: 15分ですか、何でしょうね。たぶん、デビュー前に武道館でイベントさせていただいた時ですかね。今、そのデビュー当時のVTRを見ると、やっぱり16歳で若いというのもあるのかもしれないですけど、夢いっぱいの、キラキラしているなという感じはしますね。

    --今のアイドルと美奈代さんがアイドルをしていたころとの違いは何でしょう?

    美奈代さん: 違うと言うか、私は「隣に住んでいる子がタレントになった」という、そういうスタイルで芸能界に入ってきましたが、今の(アイドルの)子はそうじゃないですもんね。踊りにしてもお芝居にしても、皆さん練習されてプロとしての意識が高いと思いますので、私たちとちょっと比較するのは失礼かなとも思ったりもします。

    --でもアイドルとしてデビューする前はトレーニングされたんですよね?

    美奈代さん: トレーニング? 全然していないです。オーディションを2週間した後、受かってすぐに芸能活動だったので、レッスンをする期間もなく、アイドルになったんです。なので、頑張ります。これから(笑)。

    絶妙だった80年代アイドルの「ファンとの距離感」

    インタビューに応じる渡辺美奈代さん

    --1980年代前半には松田聖子さんや松本伊代さん、小泉今日子さんなどがデビュー。渡辺美奈代さんがデビューしたのが1980年代後半でした。80年代のアイドルは「手の届かない隣のお姉さん」と例えられたほどファンと絶妙な距離感を保っていました。振り返って、そのことについてどのように思われますか?

    美奈代さん: 「手が届きそうで届かない」というその「距離」というんですかね、そういうのは確かに絶妙だったかもしれないですね。80年代はその「届きそうで届かない」という雰囲気がまだ残っていたんですよね。私たちが作ったのではなくて、それまでのアイドルの方たちが作ってくださったレールがその距離感で、私たちはたぶんそこに乗っからせていただいた。そこまではちょうどいい距離感だったんじゃないですかね。

    1/22(金) 13:31配信
    https://news.yahoo.co.jp/articles/4deaae2bfe379e0bc910f2a3fecdfcb737b2f8eb?page=1
    https://i.imgur.com/UhGdp8X.jpg
    https://i.imgur.com/3VQIF9Q.jpg

    【レッスン期間なくデビューした渡辺美奈代から見る“今どきのアイドル“とは。】の続きを読む

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    1: 鉄チーズ烏 ★ 2021/01/23(土) 16:44:45.67 ID:CAP_USER9
    皿乃まる美(コラムニスト)
    2021/1/23
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    《だから結果ファンと仁とのEternalなんだよ結局は》

     2021年1月13日、赤西仁のツイートでネット民は興奮の渦に包まれた。一時は「ファンと仁」がトレンド入りするまでのお祭り騒ぎになったわけだが、あの伝説のコピペ“エターナル構文”を本人が認知していたことが10年越しにわかったのだから、それも当然だろう──。まずは「何がなんだか」といった方のためにご説明を差し上げたい。

     2012年2月10日0時22分。赤西仁と黒木メイサの“デキ婚”が電撃発表されたことを受けて、巨大掲示板『2ちゃんねる』(現在は5ちゃんねる)に匿名でユーザーから書き込まれた文章からすべてがはじまった。それが以下の投稿である。

    《デビュー前からのファンだけど別に発狂してないよ。
    もともと「結婚したい」「子供が欲しい」ってよく言ってたし、
    仁に振り回されるのは馴れてるし。

    こんな奴だけど好きなんだからしょうがない。
    型に嵌らないのが仁だしね。

    プライベートはメイサが支えればいい。
    私達は仁の音楽=魂を支えるから。

    その魂は私から子供へ、子供から孫へと受け継がれていくし、
    そうやっていつか仁のDNAと混ざり合うから。
    それがファンと仁とのEternalだし》

     スレッドに強烈なインパクトを残したこの投稿は瞬く間に話題となり、『2ちゃん』内でコピペ化された。以降、著名人が結婚したときなどに名前やフレーズを改変して投稿するというのが流行、どのバージョンも最後は「それがファンと仁とのEternalだし」で締めるのがお決まりであることから“エターナル構文”と呼ばれるようになった。

    ■メイサと“対等な立場”に

     そんなネット上の閉鎖的空間でのみで通じる“コピペ”に、約10年ものタイムラグを経て赤西が反応をみせたというわけである。なぜ今になってツイートをしたのか。同日にパパになることが発表された嵐・二宮和也への祝福では? との記事もあったが、推測の域を出ず。ただただファンやネットオタクたちは、かの有名なコピペが“本人公認”に昇華した瞬間に立ち会い、感動するのであった。現に赤西の当該ツイートにはそういったリプライが多数届いている。

     このコピペ、赤西仁の1stシングルの曲名『Eternal』(意味は「永遠の」)を引用した最後の一文が取り上げられがちだが、よくよく読み返してみると全体を通して名文である。

     誰に煽られたわけでもないのに「デビュー前からのファンだけど、別に発狂してないよ」と妙に落ち着いたトーンの語り出し。どうしても“結婚を素直に祝福できない”ファン心理が溢れ出てしまっているが、決してメイサに誹謗中傷をぶつけたりはしない。「プライベートはメイサ、音楽は私達」と謎の役割分担をふりわけてイーブンな立場をとり、ノーダメージを訴えてみせるのだ。

     かと思えば、その想いは突然、果てなき航海へと舵をきる。

     我が子からまたその子へ、音楽=魂を継承しつづけていれば、“いつか仁のDNAと混ざり合うから”──。なんちゅうダイナミズムや。そしてそれは、途方もない二重らせんの未来を信じると同時に、「生きているうちに仁と結ばれることは諦めた」切ない宣言ともとれる。悟りの境地。

     途中で主語が「私」から「私達(ファン)」に切り替わる点にも注目だ。もしこの投稿が、

    「私が仁の音楽=魂を支えるから」「それが私と仁とのEternalだし」

     であったら、ここまで有名なコピぺにはならなかったと思う。一人称が「私たちが~」「ファンと仁との~」とすることで、“誰かを心から応援したことのあるすべてのファンたち”の心に刺さったのではないだろうか。もちろんヤバいファンの狂言として、(笑)つきではあるのだが、この文章が今も形を変えて受け継がれているのにはそういった理由もあるだろう……と、自分でもなぜこんなに熱くなっているのかわからないが、とにかく、約10年の時を経て彼女の魂は仁のSNSと混ざり合ったわけである。


    (以下略、続きはソースでご確認下さい)

    【元『KAT-TUN』赤西仁、伝説のコピペ ”ファンと仁とのEternal” はどのようにして生まれたのか】の続きを読む

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    2: 中年'sリフト(茸) [EU] 2019/11/29(金) 12:43:34.41 ID:WG0X2MLL0
    まじ

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